かくて王立合唱団学校の校長シボーニ先生のもとで、
日中はシボーニ先生の家で食事をとり、
歌の特訓を受け、王立劇場のオペラのリハーサルに立ち会ったり、
シボーニ先生の姪マリエッタが描く絵のモデルになったり、
そして募金のおかげでお小遣いももらえるようになったアンデルセンでしたが、
貧民階級出身の彼は、どうしてもブルジョワの生活に適応できません。
アンデルセンは召使たちと一緒にいる方が気が楽であり、
だから台所に入りびたったり、召使のパシリをやったり、
彼らとおしゃべりをしてばかりいたようです。
ところがある日、召使同様に食卓にお皿を運んできたアンデルセンに
シボーニ先生が激怒します。
そして台所じゃなくて、居間で過ごすように厳命しました。
そりゃ、そうでしょ。
シボーニ先生はアンデルセンを劇場のスタッフとして、
賓客たちに適応できるように育てようとしたのですからね~。
まずは遜色のない礼儀や作法や言葉遣いを覚えないとね。
そういうアンデルセンも夜になると、自分の下宿に帰ります。
そこは売春宿の立ち並ぶスラム街の下宿で、
ほとんど食糧庫同然の窓のない台所に通じる小部屋をあてがわれていました。
部屋代は募金のお金でやっとかっと払いました。
その下宿とシボーニ邸とを行き来していたアンデルセンでしたが、
とうとう声変りが来て、シボーニ先生の特訓が終わりとなり、
そこからでていかなければならなくなりました。
アンデルセンは別の人脈を頼り、王立劇場付きのバレエ学校に入学をゆるされ、
バレエを特訓されたのですが、
とてもものになるような体ではなかったらしいです。
それでも裏方をやったりする中で歌唱力が認められ、
歌唱教師となります。
ただ、この間はアンデルセンにとっては極貧の日々であり、
いつも寒さと飢えに悩まされながら、ブーツはボロボロで
伸びすぎた背に服が合わず、すねの半分までしかないズボンをはいた
アンデルセンの姿は人目を引いていたと
後の友人になるエズヴァード・コリーンは回想しています。
ほんとうに苦学、苦労しながら頑張っていたアンデルセンです。
また、教養あるブルジョワ階級の証明として、
ラテン語を習得せねばなりませんでしたが
本人はその階級へのあこがれを持ちつつも、
自分はその外にいる人間であるという
疎外感に悩まされました。だから
それはほとんどはかどらず、
16歳にして抑鬱傾向がみられたそうです。
鬱は新しいパトロンや知人の出現にもかかわらず、おばあちゃんやお母さんとの
古い情緒的な世界へ回帰固執していており、
なんだかアンデルセンの気持ちが分かりますね。
また、この頃デンマーク伝説に霊感をうけて
「ヴィッセンベアの盗賊たち」という脚本を書き上げるのですが、
綴りの間違いや文法の誤りだらけだったらしいです。
返された原稿には
「ふつう、これほどひどく基礎的な知識に欠けている作品を
手元に置きたいと思う人はいない」
「アンデルセン」ある語り手の障害ジャッキー・ヴォルシュレガー/安達まみ[訳] 岩波書店より
抜粋
と書かれていたそうです・・・苦笑!
厳しいですね。アンデルセンもすごく傷ついたとおもいますが、
ただね、これには理由があります。しかし、
アンデルセン本人があまりに未熟なために、だってまだ16歳ですからね。
気づいていないのです。
そのことは次回に書きたいとおもいます。
それでも、この芝居の一場面が、雑誌に掲載されます。
アンデルセン作品の初めての出版となりました。
そしていよいよ17歳になったアンデルセンの前に、運命の扉が開いていきます。
それは、次回に!
乞うご期待!

映画「どこかに美しい村はないか」~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
岩手県のジモトエイゾウ祭で上映されます。
■2/23(火祝)大槌町
大槌町文化交流センターおしゃっち11:00より
■2/28(日)盛岡市
プラザおでって10:30より
コメント