本当に残念なのが、私自身もっと若い時に脳科学を知っていたら、
あんなにも悩んだり、もがいたりしないで済んだのにな~と思うことです。
脳というマシンの、本質的な機能を知らない人間の、
無駄な寄り道ばかりしていましたから・・・トホホ!
もし私が30代、せめて40代に脳の世界を把握できていたら、
生きるがもっともっと創造的であり、
こんなに遠回りしなくても良かったのではないかとも思います。
だからこそ、若者よ、君らのために書いておきます。
前回は、脳がいかに素晴らしいマシンであるかをお伝えしましたが、
その素晴らしさを生かすためには
●常に自分を全肯定することですよ。
決して
・自分をディスカウントしたり
・自分をネガティヴにいじくったり、
・悲観的になったり、
・疑心暗鬼に陥らないこと。
そういうものこそ、一切不用です。それらはあなたの創造性に
ブレーキをかけるのみです。
前にも書きましたが、そういう脳回路をつかっていると、
そこがどんどん強化してゆき、
あなたの人生の邪魔をしますからね。
そうではなく、
●自分の自然そのままの素直な心をいつも、それで良し、と
印籠を与えることです・・・水戸黄門様のようにね…笑い!
反対に、是非やってほしいのが、
このシリーズ7や8でも書きましたが、
脳の中をゴミ、コンプレックスや自己顕示や
反対に自己否定等その他もろもろの
思いこみ、他人への忖度、気の回しすぎなどで、
脳回路を散らかしっぱなしに、しないことです。
ゴミやその他の夾雑物のほとんどは、
人間が作りだした思い込みの産物です。
それはまさに、人間社会の俗性が作り出す、
自分を不安や怖れに落としこむ夾雑物であり、
人間どうしの縛り合いや、潰し合いの産物であり、
私にいわせりゃ、
レベルの低い人間たちの
足の引っ張り合いに巻き込まれているだけだと
思いますよ。
そういう、余計ものをすっかりお掃除して、
どうぞ、レベルの低い人間集団から、スクッと一人ぬけだして、
自分の生き方の●核を定めることです。
脳の中をシンプル整理しかつ●本質化し、
本質化とは自分にとって
・大切なもの・意義あるものをちゃんと熟知することです。
自分が迷い、葛藤しているそれは、
自分の生き方に適っているかどうか、を見極め、
不用なことには拘泥しない。
その上で、私が迷ったり、落ち込んだりするときに読む本があります。
それは道元の「正法眼蔵」です。
今日は,ちょっとそのことをかきます。
「正法眼蔵」は面白いくらい脳科学の世界と符合します。
人間が
●自分ことを忘れている時こそ、道元のいう悟りであり、それは
脳のフロー状態であり、その時、脳がフル回転しますからね。
様々な創造性や奇跡的なことは、脳のフロー状態の時によく起きます。
※脳のフロー状態については、後日また、書きましょう。
では、「正法眼蔵」について
「正法眼蔵」の中の言葉に
「生也全機現、死也全機現」ということがあります。
つまり生きるという事は、
自分の生すべてを体験する、という事であり、
自分の死をもすべて体験するということです。
どういうことかというと、私なりの解釈では
自分が生きる上で起きてくるさまざまな事象(現実)をそのまま体験し、
一生懸命夢中で生きるその結果、
死ぬという事も、一生懸命の死がある、と言うことだと思います。
自分を逃げず、
自分に起きることはすべてその扉を叩くことに
何か意味がある。ということです。
そのプロセスにおいて
きっと行き先を照らす光が見えてくる、という事です。
ゴミや散らかりとは、まさに迷いや欲望や虚飾の世界です。
そういうものをお掃除し、
脳が解放され、身体も解放され、いかにも自分らしい自分が現れ、
現実の中で揉まれながら、
●自分になり切ってゆくという事です。
自分になりきる、とは自分そのものが、
なんの抵抗もなく、ストレスもなく、
シンプルに、爽快に、そして、せいせいする清らかさで、そこにいる。
それは、
脳にこびりついた油分を取り除き、汚れをはらう中、
脳のインパルスが脳の中を軽快に走り回り、
素晴らしい知恵やアイディア(発想)を授けてくれる自分を
生きる、という事です。
次回は、自分の中にゴミの雑念が浮かんできた時(フラッシュバックしてきた時)
それらをどう処理するかを、書きます。

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