では、いよいよこのシリーズの最終回、
・自分の脳が何をみているか、逆に
・自分の脳を盲目にしているのは何か、
について書きましょう。
つまり、脳は思い込みの世界でもありますから、
自我の思いこみで見る限り、
自分をも、他者をも、見えていない、ということです。
脳の中には、
・世俗の価値観に汚染されている自分と
・自分の本音というか自分本来の自然性の自分があります。
そしてすごいのは、脳の中には、
●純粋なもの、高邁なものに感動する部位が、
ちゃんとあるのです。
だから大切なのは、
世の中の価値に惑わされずに
自分の素直で澄んだ目で、
他者や世の中を見るということです。
多くの人々は自我の思い込みという、
自我の汚れや濁りの目でつい
・自分も・他者(人間)をみてしまいます。
自我の汚れの元は、
幼い日に思い込まされた世の中の通年や、
利己的な欲望や疑心暗鬼や過剰な警戒心、
そして歪んだ自己認識や社会認識です。
そうではなく、
子供のような素直な心を取り戻し、
実際に自分で感じ、観察し、感動し、
自分の理性や、考察しながら獲得した
●自分自身の目で
・自分の自身のことも・他者(人間)をも、
みることができるようになってほしいと願います。
世間的な地位や名誉は勿論、
さらに、先入知識や既成観念で、見るのでもなく。
権威がある人間や、世の中で評価されたり、地位があったり
何らかの<はく>を、身につけていそうなことなどには
惑わされず、
いかなる他者(人間)をも、そして●自分をも、
一人の尊厳をもった人として、
そのありのままを見、受け入れることができる人に
なって欲しいのです。
これは大変難しいのですが、何かあるたびに、そういう目でみようと
自分に言い聞かせることです。
先日鍼に行きました。
その時先生に、
「先生は下積みの修行を何年くらいされたの?」と
聞きました。
すると先生は
「鍼の学校を卒業してさらに5年間、
診療所で修行をさせてもらいました。
でもね、田下さん、修行といっても
患者さんの訴えて来ることは、もう
そのたびに、えっ、というものばかりで、
どこにもその答えがなく、
学校で勉強した知識など、クソにも役にたちませんでした…笑!
それを無我夢中で、手さぐりしては先生に聞いたり、
教えを乞いながら
さらに自分で考えて必死でその場を乗り越えてきました。」
・私
「そうだよね~。
現場は、もう想定外の事や、
何処にも答えが書いていない子細のことが
山のように起きてきて、それに
対応しなければならないからね~。もう戦場のようなもので、
でも、そこでこその、体験、知見、そして自分の頭を総動員しての
考察が、その人の経験知として
言葉にはならないものを、体得し、磨いていくんだよね~。
そういう現場での積み上げこそが、スゴイ、と私は思いますよ。」
と話ました。
なぜこのことを書いたかというと、
世の中とは、自分も含めて、
こういう現場での下積みをした無名の人々がスゴイのです。
そういう人々こそが、この世を造り出し、支えているのです。
しかし、残念なことに人間はとかく
普通に生き抜いている、ということの
凄さを理解できず、
通俗的な序列で、人を見てしまう人間の
なんと多いことか。
もう自我の汚れと濁りの色メガネばかりで
人を見てしまう人のなんと多いことか。
人間が成熟してくると世の中とは
無名で淡々と自分の仕事や役割をこなしている人が
ほんとうはいちばんスゴイ人だということが
分かってくるのですね。
巷は、そういう人々で溢れています。
だからこそ
社会が成り立ち、稼働するのです。
そこには、ことさら自分を表現せずとも、
優れた知識や技術があり、
さらにその人達のこころざしや責任感があり、
それが私達の社会の原動力として、支えてくれているのです。
自分の純粋な目で
自分自身のことも、他者の事もありのまま見て
自分の心を空洞にして向き合い,
・その人間の息吹きを感じとり、
・その人の凄いところや、素敵なところを発見し
・誠実さを読み取る、ということ。
それはいつも相手の●魂のところに照準をあててみるということです。
確かに人間はいろいろ癖や、厄介なものを持っているものですよ。
だから世の中はいろいろと対立や小競り合いがおきます。
しかしそんなものなど、大したことじゃ~ありません。
それより、ほとんどの人々の持っている、
誠実さや、正直さを、
貴女自身の魂の眼で見抜くのです。
人間、それがあればもう、十分なのです。
自分の自我の汚れがとれ、身も心も軽やかになると
その人は
朗らかになります。
その上で、脳の観点からいうと、
しっかり自分を信頼し、
自己世界を以て生きることが大事です。
自分の世界と他人の世界が、団子状に、なっていないこと。
つまり
●自分の世界と他人の世界とは、
ちゃんと線引きして明確にし、自他の分離をする。
自他の分離とは、
他人と自分まったく別の世界を生きていることに気づくことです。
多くの人は他者とのかかわりにおいて
他者と自分とが同じであるかのような錯覚をしてしまいます。
自分と他人とをごっちゃにして、自分の都合に合わせて
お互いを拘束し、その行動にブレーキをかけ合うことをやってしまいます。
何度もいいますが脳そのものは、
個々人の個的世界で自立しているものなのです。
つまり自分の脳世界も、他人の脳世界も、
その人がその人の脳を駆使し、人生体験して作り上げるものであり、
そこに他人が介入したり、おせっかいをしたり、忖度させたり、
指示、命令、助言、などは無用なのです。逆に
その生き方を尊重する。
同じように、これも大事なことですが、
いつも自立した自分を基本に生きること。
人間は誰もが孤独であることを肝に銘じておくこと。その上で、
・他人に依存したり、他人に幻想をもったりしないこと。
さらに
・他人に介入させたり(脇が甘いとすぐ他人はつけこんでくるよ。)
・他人の助言に惑わされないこと。
常に自分の体験や経験こそが、その人の人生の大きな糧になることを
忘れないでください。そして
●常に自分の内部を信頼する。だって
脳のメカニズムから言えば、すべては自分の脳の中でおきているのだから。
そして自分の判断や行動に間違いがあったとしても、それはそれでいい。
第一優先は、自分の感覚、感性や気持ちに添って生きること。
そして人生とは、
●軌道修正の連続であることも
心得ておくこと。
誰とでも仲良くしても、反対に、誰とでも仲良くしなくても、いい!!
それも自分(その人)の自由!!です。
いい人なんかに、ならなくてもいいし、
人間関係は、水の流れのように自然にその時任せ!!
運を天に任せて、のほほん、のほほんと楽観的にいきる。
するとね、
生きることは、さほど苦しくなくなります。
人間はみんな自分も他者もボチボチで、
大したことないけど、たいしたものでもある・・・笑!
それが分かるようになると、みんなが一生懸命生きていることが分かる。
それが分かると、
それぞれがどんぐりの背比べであり、
なんだか地べたではみんな繋がっているようで
別段孤独も感じなくなるよ。
さて私も最終ラン!
自我を捨てて、人々に感謝して
貴女に会えたことを感謝し、
同じ時代を、一緒に生きることができた喜びをもって
最後はカンカラカンの世界へゴールインしたいと思っています。
では、これから「ふかがわ国際短編映画祭」に
行ってきま~す!!

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