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◆親愛なるAさんへ、その8 澄んだ魂の眼で見る。

では、いよいよこのシリーズの最終回、

・自分の脳が何をみているか、逆に

・自分の脳を盲目にしているのは何か、

について書きましょう。

つまり、脳は思い込みの世界でもありますから、

自我の思いこみで見る限り、

自分をも、他者をも、見えていない、ということです。

脳の中には、

・世俗の価値観に汚染されている自分と

・自分の本音というか自分本来の自然性の自分があります。

そしてすごいのは、脳の中には、

●純粋なもの、高邁なものに感動する部位が、

ちゃんとあるのです。

だから大切なのは、

世の中の価値に惑わされずに

自分の素直で澄んだ目で、

他者や世の中を見るということです。

多くの人々は自我の思い込みという、

自我の汚れや濁りの目でつい

・自分も・他者(人間)をみてしまいます。

自我の汚れの元は、

幼い日に思い込まされた世の中の通年や、

利己的な欲望や疑心暗鬼や過剰な警戒心、

そして歪んだ自己認識や社会認識です。

そうではなく、

子供のような素直な心を取り戻し、

実際に自分で感じ、観察し、感動し、

自分の理性や、考察しながら獲得した

●自分自身の目で

・自分の自身のことも・他者(人間)をも、

みることができるようになってほしいと願います。

世間的な地位や名誉は勿論、

さらに、先入知識や既成観念で、見るのでもなく。

権威がある人間や、世の中で評価されたり、地位があったり

何らかの<はく>を、身につけていそうなことなどには

惑わされず、

いかなる他者(人間)をも、そして●自分をも、

一人の尊厳をもった人として、

そのありのままを見、受け入れることができる人に

なって欲しいのです。

これは大変難しいのですが、何かあるたびに、そういう目でみようと

自分に言い聞かせることです。

先日鍼に行きました。

その時先生に、

「先生は下積みの修行を何年くらいされたの?」と

聞きました。

すると先生は

「鍼の学校を卒業してさらに5年間、

診療所で修行をさせてもらいました。

でもね、田下さん、修行といっても

患者さんの訴えて来ることは、もう

そのたびに、えっ、というものばかりで、

どこにもその答えがなく、

学校で勉強した知識など、クソにも役にたちませんでした…笑!

それを無我夢中で、手さぐりしては先生に聞いたり、

教えを乞いながら

さらに自分で考えて必死でその場を乗り越えてきました。」

・私

「そうだよね~。

現場は、もう想定外の事や、

何処にも答えが書いていない子細のことが

山のように起きてきて、それに

対応しなければならないからね~。もう戦場のようなもので、

でも、そこでこその、体験、知見、そして自分の頭を総動員しての

考察が、その人の経験知として

言葉にはならないものを、体得し、磨いていくんだよね~。

そういう現場での積み上げこそが、スゴイ、と私は思いますよ。」

と話ました。

なぜこのことを書いたかというと、

世の中とは、自分も含めて、

こういう現場での下積みをした無名の人々がスゴイのです。

そういう人々こそが、この世を造り出し、支えているのです。

しかし、残念なことに人間はとかく

普通に生き抜いている、ということの

凄さを理解できず、

通俗的な序列で、人を見てしまう人間の

なんと多いことか。

もう自我の汚れと濁りの色メガネばかりで

人を見てしまう人のなんと多いことか。

人間が成熟してくると世の中とは

無名で淡々と自分の仕事や役割をこなしている人が

ほんとうはいちばんスゴイ人だということが

分かってくるのですね。

巷は、そういう人々で溢れています。

だからこそ

社会が成り立ち、稼働するのです。

そこには、ことさら自分を表現せずとも、

優れた知識や技術があり、

さらにその人達のこころざしや責任感があり、

それが私達の社会の原動力として、支えてくれているのです。

自分の純粋な目で

自分自身のことも、他者の事もありのまま見て

自分の心を空洞にして向き合い,

・その人間の息吹きを感じとり、

・その人の凄いところや、素敵なところを発見し

・誠実さを読み取る、ということ。

それはいつも相手の●魂のところに照準をあててみるということです。

確かに人間はいろいろ癖や、厄介なものを持っているものですよ。

だから世の中はいろいろと対立や小競り合いがおきます。

しかしそんなものなど、大したことじゃ~ありません。

それより、ほとんどの人々の持っている、

誠実さや、正直さを、

貴女自身の魂の眼で見抜くのです。

人間、それがあればもう、十分なのです。

自分の自我の汚れがとれ、身も心も軽やかになると

その人は

朗らかになります。

その上で、脳の観点からいうと、

しっかり自分を信頼し、

自己世界を以て生きることが大事です。

自分の世界と他人の世界が、団子状に、なっていないこと。

つまり

●自分の世界と他人の世界とは、

ちゃんと線引きして明確にし、自他の分離をする。

自他の分離とは、

他人と自分まったく別の世界を生きていることに気づくことです。

多くの人は他者とのかかわりにおいて

他者と自分とが同じであるかのような錯覚をしてしまいます。

自分と他人とをごっちゃにして、自分の都合に合わせて

お互いを拘束し、その行動にブレーキをかけ合うことをやってしまいます。

何度もいいますが脳そのものは、

個々人の個的世界で自立しているものなのです。

つまり自分の脳世界も、他人の脳世界も、

その人がその人の脳を駆使し、人生体験して作り上げるものであり、

そこに他人が介入したり、おせっかいをしたり、忖度させたり、

指示、命令、助言、などは無用なのです。逆に

その生き方を尊重する。

同じように、これも大事なことですが、

いつも自立した自分を基本に生きること。

人間は誰もが孤独であることを肝に銘じておくこと。その上で、

・他人に依存したり、他人に幻想をもったりしないこと。

さらに

・他人に介入させたり(脇が甘いとすぐ他人はつけこんでくるよ。)

・他人の助言に惑わされないこと。

常に自分の体験や経験こそが、その人の人生の大きな糧になることを

忘れないでください。そして

●常に自分の内部を信頼する。だって

脳のメカニズムから言えば、すべては自分の脳の中でおきているのだから。

そして自分の判断や行動に間違いがあったとしても、それはそれでいい。

第一優先は、自分の感覚、感性や気持ちに添って生きること。

そして人生とは、

●軌道修正の連続であることも

心得ておくこと。

誰とでも仲良くしても、反対に、誰とでも仲良くしなくても、いい!!

それも自分(その人)の自由!!です。

いい人なんかに、ならなくてもいいし、

人間関係は、水の流れのように自然にその時任せ!!

運を天に任せて、のほほん、のほほんと楽観的にいきる。

するとね、

生きることは、さほど苦しくなくなります。

人間はみんな自分も他者もボチボチで、

大したことないけど、たいしたものでもある・・・笑!

それが分かるようになると、みんなが一生懸命生きていることが分かる。

それが分かると、

それぞれがどんぐりの背比べであり、

なんだか地べたではみんな繋がっているようで

別段孤独も感じなくなるよ。

さて私も最終ラン!

自我を捨てて、人々に感謝して

貴女に会えたことを感謝し、

同じ時代を、一緒に生きることができた喜びをもって

最後はカンカラカンの世界へゴールインしたいと思っています。

では、これから「ふかがわ国際短編映画祭」に

行ってきま~す!!

さざんか、さざんか咲いた道!
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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