モノになるかならないか分からないけど、とにかくアンデルセンについて書きたいと思っています。
数年前か、いや、10数年前にアンデルセンの事を書きましたが、
その時は、童話をメインに書いたのですが、
今回は、バイセクシャルのアンデルセンが、
どういう風にその世界を描こうとしたかを書いてみよう。
それで、今、まだ手を付けていなかった、初期の小説2点を読み中ですが、手強い!
最初の小説が、「即興詩人」で、その次に書かれたのが「O・T 苦悩の烙印」で、
今から読もうとしているのが、この本です。
この小説の次に書かれたのが「ただのバンイオリン弾き」で、
これはもう読書済みですが、かなり面白いです。ただこれも447ページでかなりてごわかった。
アンデルセンが、バイセクシャルであった事は、いまだに公にされず、
殆どの書評は、見てみぬふりをしている。
しかし、しかし私は、彼がバイセクシャルだらこそ、あの名作「人魚姫」が生まれたとも思うし、
そこには、男性性と女性性、さらにそれを超越した第三の視座があり、
それがあの数々の名作を産んだと、思います。
未だ、書き抜けられるかどうか、分からないけど、
もし、書き終えたら、私の大切な友、バイセクシャルの彼に贈りたい。彼も魅力的な、バイです。
いわゆる今の世の中は、本当に残念ですが、
極めて単純に性を、男と女に振り分けており、
それまさに、単純な人間が作り出した、稚拙で単純な文化にすぎません。
※私は男の性と女の性の間には限りないバリエーションがあると考えています。
だから、これから時代が進み脳の解明がもっと進むと、
脳の世界においては、性そのものが多様な重層性をはらみ、
そのバリエーションが多岐にわたる世界である事が分かるだろう。
まあ、以前に比べたら、男優位の思想もかなり衰退しましたが、
作家としての、私の目からみると、そう言うところに捉えられているかぎり、
幼稚で稚拙なクリエーションしか産み出さない。そして同じように、
ジェンダー差別をふりかざす日本や世界的な女性達にも、私は幼稚さをみてしまう。
そのあたりも含めて、とにかく、バイセクシャルで苦しんだアンデルセンが、
どんなに素敵な視線と視座へとたどりついたかを書き残せれば、と思っています
。どうでしょう、例の森喜朗氏程度の知性では、
遠く及ばないアンデルセンのその世界の素敵さ、
まぁ、頑張ってみよう!
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