つい二、三日前、ヤフーのコメント欄をAIが管理して
誹謗中傷的なものを数秒で削除する、という報道がありました。
勿論誹謗中傷するなんてもっての外です、しかも匿名で。
しかしそういう事を勝手放題にやってきた人々は、
そのつけとして、AIの管理下に置かれるという事です。
すでに相当のことはAIの管理下にありますが、
この事は、いよいよ言論もそうなる、という予兆です。
じわじわと人間がAIに管理され、自由を奪われていく。
〇 〇 〇
厳しく自分を精査していない人間は、いとも簡単に
自分の中にたまったゴミや毒を、
当たり障りない人間や当たりさわりない所へと、
放出してしまう。
※特に大人や親は、無意識にそういうことを、子供にやってしまうことに
気づくこと。
若者にとってネットが自分の毒を吐くゴミ箱としては、
恰好のものになってしまった。
だれがやり始めたのか知らないが、
少なくとも、私の眼には彼らはなんと甘ったれかと思う。
自分の卑怯さや、甘ったれに溺れることが、
そのまますんなり世の中でとおると思うなよ!
いずれ、それは自分の首を絞めてくる、両刃の剣であり、
そのことすら分からない、幼稚さである。
はっきり言いますが、
最近の日本と日本人は、もうとてもヌルイ!
社会が天国のように豊かになった反面、
日本人は生きる厳しさから疎外されてしまった。
人間は甘やかされると、脳がどんどん鈍磨していきます。
つまり危機意識がなくなると、
脳の切れ具合(鋭さ)が甘くなってしまうのです。
危機を感じ、敏感に脳を働かせなければならないのに
日本の人々はなぜかものすごく鈍くなってきているように
私は思います。
更に、物が溢れるの比例して、
高い考察力や、凛々しい自己矜持や、そして
自分とは、
●社会に貢献する生きものとしてある、という
人間の根源的認識が、
失われつつある。
人間が自分とは社会に貢献するために生きている、ということを
忘れたのか、教わらなかったのか、教えなかったのか。
それを忘れた時、
人間の心理と人格が荒廃していくのですよ。
社会が何をしてくれるのでもない、
自分が社会に何をするか、なのです。
いい子になる必要はない、
いい人になる必要もない、
しかし
善き人になれ、とソクラテスがいいました。
「何かをする時、それが正しいことなのか正しくないことなのか、
善き人がすることなのか、悪しき人がすることなのか」だけが重要であり、
死ぬか、生きるかではないと、
ソクラテスは言っています。
善き人とはなにか。
私にとっては
厳しく自分を見つめ、考え、行動する人です。

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