ジェンダーについて。

先般オリンピック組織委の森喜朗元会長の発言が

女性差別ということで、大きく問題視されたが、

私見としては、あれは頭の古いもうよぼよぼの老人の

不用意な発言であり、女性差別というより問題は、

そういう老害の人間が権力の座にいる日本という国の後進性でもある。

しかし何とも解せないのは、言論の自由もなく、チベットやウイグル、

更には香港の弾圧を平気でおこなっている中国北京オリンピックは

オリンピック憲章には反しないのか?

なんとも薄っぺらで底の浅いジェンダー論争でした。

ジェンダーは本来、根源的な人間認識の問題として、扱われなければならない。

おそらくこれから脳の解明が進めば進むほど、

肉体の条件を大きく上回る、人間の精神性世界の多様さや複雑さが

どのように起きるかが解明されていくであろうし、

その時、

脳が作り出す、その人間の●生存のアルゴリズムはおそらく

男と女のジェンダーとして、

●無限のヴァリエーションがあることを

証明していくであろうからです。

そういう観点からずっと私は人間を見てきたし、さらに

私が若き日に日本のウーマンリブ運動に幻滅したのは、

その視点のスケールの小ささと、被害者意識に基づく男性攻撃で

そこには人間が男と女の差異を止揚しようとして脳のアルゴリズムが形成された時、

男性性と女性性を凌駕するダイナミックな精神世界をつくりだすことへの

見識すらなかった。

今回、私はこれからアンデルセンのジェンダーフリーを基に

彼の童話分析を試みようとしている。

そこにはジェンダー差別をはるかに上回る高質の世界観があるからである。

おそらくこれから来るであろう、ジェンダーフリーの世界観、

そこには矮小な被害者意識など吹っ飛ぶ、新しいユニークな世界が広がるであろうと、

私は確信している。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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