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◆田下啓子痛快エッセイ14、なんて素敵な女たちジェンダー論!その2、佐々木ヨシエさんさんも新里栄子さんも、そして児玉房子さんも茨木のり子さんも・・・!

心理学者のカール・G・ユングは植物こそ、神の姿に近いと言ったが、

私のジェンダー論の女性像は、地に根を張り、

しぶとく生きている女性達である。

どういう訳か木々は、お互いがぶつからないように、その隙間に

枝を伸ばして成長する。

私は根のことは知らないので分からないが、きっと

その根も、同じように自分の生きる領地を探して、そういう風に根を

張っているのではないだろうか。

歳をとり長く生きてみると、

社会は、男社会であろうと女社会であろうと、

こういう風に、自分の根を張るセンサー(感性)と知恵と

努力(行動力)が大事で、

どんなに理屈をこねても、

被害者的に世の中をいじくろうとしても

むなしく空にそれが舞うだけだよ。

社会も人間もそうは甘くないよ。

ところが言葉を吞み込んで、歯を食いしばって生きていくと、

自力で踏ん張る力や、内面の奥に燃える女の闘争心がね、

マグマのように地底に溜まり、その人自身の底力になっていく。

軽々しく、言葉を吐かなかった分、

じっと腰低く、我慢してきた分それが

土の層のように積み重なり、   

その女(ひと)の足跡が、実存の層としてつづれ織りのように、

美しいものになっていく。

それは間違いない。

そういう美しさに私は感動する。

日焼けしたその顔に、

ゴツゴツしたその手にその苦労を労い、

涙し共感する。

女は男のように闘争しない。

だって女は器(うつわ)なんだから。

もう、それだけで、素晴らしいと思う

映画「どこかに美しい村はないか」の佐々木ヨシエさんさんも

新里栄子さんも、そして、

児玉房子さんも茨木のり子さんも、

そういう女性であったと思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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