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◆断定することをおそれるな。

以前作家志望の若い女性が来た時、

私は断定した文章を書く事を恐れないように、と話した。

なぜなら、そうしないと文章は磨かれず、いつも凡庸さの中を漂う

平板なもので終わるからだ。

断定した言葉や想念=自分の判断(決断)は、

一つの完結を経た、その人間の自己根拠として塵のように積もってゆく。

この塵のように積もったものが、やがては自信となり、安定した世界観となるんだからね。

例え間違えたとしても、一つのよい経験知になってゆく。

一つ一つ、これでよし!

これだ、というように自分が確信したものを,

肯定しておくのよ。それが大事なのよ。

ところが、断定せず、どっちに転んでもいいような言葉や曖昧な想念の中にいるかぎり、

ものごとは明確ではなく、いつもボケて、浮遊するし、

迷いが生じるし、作る作品は、ボケたつまらないものにしかならない。

そして更に、断定しない言葉を吐く人間は、いつも逃げ腰の人間だ。

例えばテレビのニュース番組のキャスターをしているNスタの井上アナウンサーは、

いつも最後に「かもしれません」を入れて自分の意見をぼかして逃げている。

いかにも万人向で如才ないが、この人は多分大成しないと思う。

世の中を背負おうとしていないからね。

またテレビ朝日のモーニングショーの羽鳥アナは、

自分の本心では断定しているにも関わらず巧妙に隠し、それを玉川氏にやらせている。

頭がいいが、ズルイ。

いつか、そういうテクニックではなく、自分を押し出していかないと、

これも、ものにならない。

テレビを見ないので、その他のキャスターをあんまり知らないので、

この二人しか例にあげられないけど、

以前テレビには、けんけんがくがくの壮士が沢山いたと思う。 

個性があふれていたけど。

世の中、無難なものや、さしさわりのないものばかりが跋扈すればするほど、

知的文化は後退してゆく。

断定と言われようが、独断的といわれようが、

オノレの考えを明瞭、明確に話し、表明する事だと思います。

自分の頭で考えた事の何がわるいか!

自分の感覚、感性で感じた事の何が悪いか!ちゃんと居直れ!と、

私は母からそう教わった。

そういう事を疎かにしていると、

何ごとも、終点のない迷走地獄をうろうろして人生が終わると、教わりました。

文章にしろ、絵画にしろ、音楽にしろ、その他の事すべてにおいて、

これこれが自分の感性と考えである、と明瞭にし、

そこに、一つ一つのピリオドを打つ事こそが大事なのです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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