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「世に棲む日々」我が吉田松陰先生。その1

我が家から一番近くの郵便局まで歩いて12,3分かかる。

散歩がてら郵便を出しに行くと、その途中の小さな坂を上った所に

「金子重太郎」という表札がある。

私は行きと帰りにその表札を見ながら、

「ずっと松陰先生と一緒にいてくれて、ありがとね」と

思わず思うのである。

実は調べると、吉田松陰の弟子の金子君は、

金子重輔で重太郎ではない。

ただ、私がはじめてその「金子重太郎」という表札を見た時に早合点して、

勝手に「あゝ松陰先生といつも一緒に行動してくれた金子君と

同じ名前だぁ~」と思い込んだに過ぎないのですが・・・。

私は小学校2年生から中学1年生の五年間を、

下関市長府町で暮らしました。

長府町の思い出は鮮明で楽しく、生まれたのは門司市大里ですが、

長府こそが自分のふる里だと思っています。

卒業したのは、

町に一つしかなかった小学校、豊浦小学校で、この小学校は

乃木将軍ゆかりの小学校です。

だからなんとなく私は、自分のことを長州人だとおもっているのです。

その中でも大好きなのが、松陰先生と高杉晋作と大村益次郎で、

おそれおおいのではありますが、

松陰先生と自分はどこか似てるなあ~と思うのです。

つまり吉田松陰という兵学者であり,

向学心に燃えるとともに、ものすごい好奇心の持主。

更に兵学者として或る意味に秩序を重んじると同時に、

なんか分からないけど、彼は時に大きく飛躍した行動をとる人でもあります。

金子重輔と共に、攘夷論者でありながら好奇心を抑えきれないのか、

下田で二人は大胆にも米艦に乗り込もうとします。

結局二人とも捕らえられて投獄され、重輔は、その身分の低さの為

岩倉獄という獄中で死んでしまいます。

23歳の若さである。

だから私はいつもこの小さな坂を上り下りしながらも

金子重輔を思い起こし、

破天荒で無謀な松陰先生の御供をしてくれた

彼に、感謝の気持ちが湧いてくるのです。

      〇 

今回、やっとというか、

司馬遼太郎著「世に棲む日々」を読んでみようという気になり、

読み始めました。

まず、タイトル「世に棲む日々」がなんともいいです。

そして文章が端正でありながら、簡潔していて

読んでいて気持ちがいいです。

ただ読み始めたら、

最初のところの松陰が脱藩するところで、やっぱり

自分と同じ血を感じました…笑い!

これは長州人の血かそれとも、

松陰独特の保守(秩序派)でありながら飛躍するの性分なのかは

分かりません。

なんだかわたし自身とそっくりです・…苦笑!

今から更に、読み進みます。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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