MENU

◆映像作家河瀨直美氏の東大入学式祝辞について、まずは人として、どうあるべきか、が欠けて いる。

●私の若い頃の話である。

あるカウンセリングのワークショップに参加した。

その時、

看護師さんで、婦長から降格された人のカウンセリングの中で

起きたことです。

先生が「もし、貴女の前で、凄く苦しんでいる患者がいたら、

貴女は最初にどうしますか」という質問をした。

彼女は

「まずカルテを見ます」と答えました。

先生が諭すように言いました。

「そこが問題よ、

いかにも優等生の言葉だけど。

まずは何が何でもとっさに、無条件に人として反応し、

患者の手とるとか、大丈夫ですか、

いう風に、声かけをし、

安心させるというということが

一番です。つまり

痛んでいる人に対する、人として心や、

無条件のとっさの行為が、あなたには欠けている。

貴女は頭がよく、冷静で、

常にバランスを取ることが良いという勘違いが優先し、

人としての心、行為を失いかけている。

まずはすぐ患者に寄り添い、

安心させてから、次が

カルテを見るですよ」

      ○

●能勢映画監督から聞いた話です。

有るドキュメンタリー映画について、

目の前で猛烈に苦しんでいる老人をカメラが追っている。

映像は苦しむ老人の顔を追い続けていたそうです。

その映像を見た能勢監督が言いました。

「カメラなんか廻していないで、すぐ助けてやれよ!」

日本のドキュメンタリー映画の制作者の中には、

こういう強烈な修羅場において、

カメラを廻して映像シーンを撮ることの方を優先する、

いわば勘違いの人が多く、

そういう強烈な映像が賞を取ったりします。

         ○

私のカウンセリング学の恩師K先生は、

人間は理性でバランスをとることも大変大事だが、しかし

最も大切なことはまず、

・人して在り、

・人としての心と温度を、失ってはいけないことだと

教えてくれました。

そう言う頭でっかちで、バランスを取ることばかりを優先して、もう

とっさの心や行為を失いかけている人が

ともすると、頭が良い人間や、高学歴の人の中にに多いと、

嘆いておられた。

また、路上でも倒れている人がいても、

かかわることを恐れ、見て見ないふりをする人間が増えた。

こういう人たちは、

目のまえの現実を、バランス論や正論的な目で見て、ものを言い、

いかにも上から目線で人間をみる。と。

私にはこのワークショップの場面が頭に焼き付いている。

      ○

今回河瀨直美氏の東大入学式祝辞について。

途中までは、とてもいいです。いいお話です。

ところが金剛峯寺管長の言葉から、雲行きがおかしくなり、

バランス論として話がロシアに短絡していく。

つまり河瀨氏も上記のような頭でっかち知識人的な発言で、

現実を語りだすのです。

そこには、まさに今、生きることも、人生も奪われ、痛んでいる

ウクライナの人々に対する心も、温度も見られない。

理屈抜きに痛んでいるひとに寄り添うという心が、なく、逆に

ただ正論もどきが展開されている。

以下彼女祝辞より抜粋すると

「例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。

けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、

それを止めるにはどうすればいいのか。

なぜこのようなことが起こってしまっているのか。

一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?

誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、

私は安心していないだろうか?

人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、

とある国家に属してその中で生かされているともいえます。

そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを

自覚しておく必要があるのです。

そうすることで、自らの中に自制心を持って、

それを拒否することを選択したいと想います。」

         ○

確かに私達人間は、自分の中に悪を内包して生きているし、

そして私達の中にも、ミニプーチンがいるかもしれない。

しかし河瀬さん、今、現在、そういう、いかにもの正論を言う必要があるのであろうか。

更に言わせてもらえば、人類史とは

その悪をいかに克服するかということで

人間の文明が生まれ、

歴史が原始奴隷社会から進化してきたのでしょう。

つまり人間の理性と知力は常に、

現在おきておきているプーチン氏の悪を許さないベクトルを

持たねばならないのですよ。

そして、ロシアは正義ではないです。

21世紀という新しい世紀は

戦争の世紀の20世紀を越えて、

新しい悪を克服する世紀にしなければならないのです。

そして貴女の

「ロシアを悪者にする」という言葉も、あまりに幼稚です。

悪者とか、正義とか、そういう単純、幼稚な短絡的言葉で

この戦争を中和するようなことを

論じではいけない。それは

他の事象についても、大人として、

もっと深い考察の中(成熟の中)に

いないとね~。

私たちは人類が生き延びていくためにも、

知性の大前提として、

武力をもって、他国を侵略したり、また所有したり、

殺戮を行ってはいけないのです。

それは個人においても、国家においてもです。

河瀬氏の言いたいことはわかりますよ。

でも、だからこそ、

こういう戦争が起きないためにこそ、

この現実を

・単純正義と・単純悪に分けないことで、

もっと深い知性のレベルで学生に語って欲しい。

貴女の悪者という言葉に、思慮の浅さを感じずにはいれない。

更に今、ウクライナでたくさんの民間人が殺され、

国が破壊されるその真っただ中で、

この混乱の真っただ中で軽率に、以下のような言葉を吐いてはいけない。

「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?

誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、

私は安心していないだろうか?」

とか

「誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、

私は安心していないだろうか?」

この様な

いかにも知識人ぶった、言葉は、慎まなければならない。

ひとりの映画人として偉そうに軽々に言葉を吐かず、

歯を食いしばって言葉を飲み込み、

この戦争の成り行きと人間の姿を凝視する。

その上で

一人の人間として、

ウクライナの人々の痛みを悲しみ、

そして利用されて死んでいくロシア兵の若者をも悼む。

河瀨直美氏の言葉には、その温度もその姿勢もが

欠けている。

もっと心底から吐く、映画人のとしての現実の、

そういう言葉を新東大生に贈ることができたら、

よかったね。

残念です。

最後に人間としてやってはいけない事は

いけないのです。

そう言う意味で、ロシアもプーチンも

N0なのです。

そこをしっかり柱にして、

言葉を吐いてください。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 彼女の祝辞にはかなり抵抗を感じました。普段いろいろなことを我慢してストレスを感じているから、ときどき反社会的な発言をすることでドヤ顔になってスッキリしているんだと思います。本当に冷静に考えてる人の言動とは思えません。
    彼女の言いたいことはわかりますが、ロシア侵略についての論議とは、遠く離れたところですべき主張です。

コメントする

目次
閉じる