昨日、今、希望のない時代が始まったと書きましたが、
ちょっと矛盾しますが、
希望のない時代にいかに希望を持って生きるかは、
まずはしっかりと現実を見据えるリアリストになることです。
安易な希望を捨て、更に覚悟して生きることです。
その覚悟さえあれば、現実を見逃さず、現実に即した希望を
見つけることができるでしょう。
以下は昨日の続きです。
〇 〇 〇
○○さま
おはようございます。追伸です。
自分の成し遂げてきた事や、その世界に意味があるのか、無いのか。
答えは、YES,あります。
ただ、それは初めから意味や価値があるのではなく、
生きてゆくプロセスと結果として
意味や価値が生まれるということです。
以前人間は不可逆的時間の中をただひたすら生きているだけだ、と
書きました。
人間は、関係性の中でしか生きれません。
その関係性の中をひたすら生きながら、
さまざまな事に反応し、
サーチし、考えて生きてゆきます。
つまり、関係性という●現実の中で常に、
自分はどう生きるかの、
答えや意味や価値を探しだしながら、生きるのです。
ただ、それは極めて個人的な思い込みの枠という
限界世界でもありという事です。
※この、すべてが自分の思いこみの枠内である、ということに
気づくことこそ、
最大の覚醒でもあるのですよ。
ひたすら生きようする、その時
自分にとって、生きることを阻害、防止される事には、
抵抗が湧き、逆に、自分が生き延びるには、
どうしたらいいかの、知性が、
脳の中でサーチされます。
それは、極めて個人的であり、枠内の限界もありますが、
しかし、関係性とは、常に無意識に、
●共生への道を探しているはずなのです。
心理学では、
●人間は常に、その人間のベストの選択をしながら生きている、と
言います。
つまり今振り返ってみると、
あの時、こうすれば良かった、と思っても、
その時は、その選択こそが、その人間のベストなのです。
人間は、そうしていつも自分を完結しながら、
未知の世界を探りなが生きています。
いつもing なのです。
だからこそ、どんな人間も、
その生きる道、プロセスこそに、意味があり、
自分が生きることの価値(目的)を見いだそうと、頑張るのです。
そして、個々の人間のその考察と行為こそが、
●人間社会の文化の源泉となって行きます。
ただハッキリとお断りしておきますが、
いずれにしても、
人間は、個々人が、
自分という脳と身体のカプセルに入っているようなものですから、
自分の思い、価値観、さらに希望が、
そのまま、他者や世の中や、世界へと、通じるという訳には
いきません。
むしろ、断絶を覚悟し、不毛さや無力さを孕む事を、
覚悟、承知の上で、繋がる、或いは
発信、行為、行動するしか有りません。
更に、考察の深いもの、
高い次元の内容をもたらすものほど、
●難解であり、
それは、中々世の中や大衆には
受け入れられないものです。
それらが一般レベルまで認識されるには、
長い時間の経過が必要です。
またその中に何かの普遍性があるとき、それは
伝搬していくのです。
まあ、
私が書いていることも、
私が死んでから、やっと、認識されるかなぁ、と思っています…笑!
それでも○○さん、映画の評論家として、物書きとしても、
最後に、私のデスクに置いてある、
花森安治さんの言葉の写真を送ります。
そこには、
「一人のために書く」
とあります。
たとえ、一人でも、自分の文章を読んでくれるなら、
書く価値があるのです。

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