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現実感や現実認識が薄い日本人、現実逃避した文化がはびこってしまった。その2,原因は愚かしい戦後教育、核家族の崩壊、そして男性優位の享楽文化にあると、私は思う。

私は物事はすべからく表裏一体であり、

世界はいいこと半分、悪いこと半分であると考えている。

だから戦後の時代もいいことがたくさんあるし、

反面愚かしいことや悪しきこともたくさんあった。

戦後、食べるものも着るものも少なく、

子供たちの中にははだしで遊んでいた子もたくさんいました。

私は小学生の時、

初めて買ってもらった赤いゴム長靴を履いて学校に行き、

下校時に降り出した雨の中、

そのゴム長を履くのがもったいなくて

ゴム長は胸に抱えて、はだしで雨の中を帰った記憶があります…苦笑

そんな時代を思うと、今の暮らしはもう夢の夢の奇跡のようです。

若者たち(私から見る若者とは30代~50代に人たちです。)の中に

蔓延している現実逃避が翻った、

非現実世界、観念的世界蔓延の原因としては、

大きく三つあると

思います。

勿論その他にも多くの原因がありますよ。しかし

私は社会学者でもないので、

ほんとうに一市民として雑駁な分析でありますが。

一つは、●恐ろしいほど、愚かな戦後教育の思いこみ世界

二つ目は●大家族の崩壊と核家族の両親の不和や離婚

三つめは●テレビをはじめと男性優先の享楽文化と女性の自立のしそこない。

一つ目の戦後教育の学歴が大事という思い込みと受験戦争については、

学歴をつけることが出世につながるというのは、

どう考えても愚かしく現実的ではない、親の思いこみです。

反対に

もし、受験という足かせがなかったら、

子供たちはストレスから解放され、

どれほど自由で自然に生きれたかと思います。

おそらく子供の中のイジメもグンと無くなると思います。

また、何度も書きましたが、

受験勉強とは、もうすでに答えがあるものを

追学習するものでしかなく、

子供の創造性をつぶしこそすれ、

養うものではないです。

世の中も、脳の世界も、親が考えるほど安直ではなく、

いくら受験戦争を勝ち抜いても、そこに子供自身が

その自然性においては体験し経験で手に入れた

●豊かなデータベースがない限り、

つまり脳と身体の中身の薄いものでは、

厳しい現実を生き抜いてはいけない。

更に受験勉強で、

能力もエネルギーもすり減らしてしまった後には、

就職活動という現実社会の強固な壁が、

子供たち(若者達)の前へと

立ちはだかります。

そこでもう、力尽きる若者もいるでしょう。

自由を奪われ、遊ぶことも、その創造性も奪われた子供たちが、

その現実にどんなに失望したか。

二つめの、大家族の崩壊と核家族における親の不和や離婚については、

戦前の封建的大家族がよかったとは全く思いません。

しかし

大家族の場合、たとえ親がダメでも

・一緒に暮らす爺ちゃん、ばあちゃんという、

もう一つの家族としての受け皿があり、

子供の逃げ場もあったように思います。

ところが核家族の場合、親が不和を起こし離婚騒動を起こすと、

・親は自分達夫婦の愛憎闘争に明け暮れ、

子供はおきざりにされてしまうこと。

・親を手本に生きている子供にとって、

どう生きたらいいのか分からなくなってしまうこと。

・子供はいつも親を思い、親の役に立とうと思って生きている。

・親の不和や離婚は、その子供が深く傷つき、親の不和に絶望して、

・穏やかな人間関係を学ぶこともできず、

・子供自身が力尽きてしまう事。

・親はその義務として、子供を自立させ社会の中へと送りこまなければならないのに

・離婚した親の場合、子供を伴侶替わりに依存し、甘やかし、

・その共依存の中に囲いこむ例が多いこと。つまり

・親が子供の自立を阻むのです。

ほんとうに、今は子供が犠牲になる時代です。

三つ目は、特にBLに走る女子において、

私の私見では、BLに走る女子には

頭のいい人が多いように思います。だからこそ、

・男性優位社会において、自分を生かせない幻滅や

・容姿ばかりを重視し、女性の本質的な良さに向きあわない

・男性文化に対する失望や怒りがある。

しかし、それでも、女性としての矜持や尊厳をしっかり自覚して、

・男性文化に依存せず、自立して生きることが大切であり、

・自分を疑似男性化してBLなどという架空世界へと陥ちることは。

私はむしろ女性の堕落だと思いますよ。

愚かな男など、相手にする必要はないのですから。

そして自信がない男ほど、女性を下位に置きたがります。

また、頭が良いと、自然に目つきが鋭くなり、顔が歪み、

甘くなくなりますから、

自信のない男は敬遠するにきまってます。

明治初の女性雑誌「青踏」の創刊者、平塚らいてうさんは

「原始、女性は太陽であった」と書きました。

歌人与謝野晶子さんは、その「青鞜」に

「山が動く日来る」という詩を寄せました。

私はその通りだと思います。

女性は太陽のよう輝いているし、その温度で人が生きる。

そして山は動くのです。女性が大きな力を発揮したときこそ、

あの、不動であった山が動くのです。

今はその山が動く前の地に女性がいるのかもしれません。

このほかにそれぞれの人の、固有の事情や状況があり、

様々なことが現実逃避と非現実世界へ走ることの原因になったと

私は考えます。

戦後、社会が豊かになったばかりに、それが災いして、

エネルギーが奪われたり、無気力になったり、

親の経済力のすねをかじっても生きれること。

さらに

暇があると人間は退屈しのぎに自分の内面をいじくりますから、

自分の中に引きこもり、

閉じた世界で自分を観念化させる快楽に陥ると

次第に客観性を失っていきます。

ただ、そんな中でも、光は消えていません。

今からでもやり直しができます。

そして若者達よ、

●人生の時は限られています。

●人生を戦略的に生きることですよ。

そのためには、現実をしっかり見極めて、

深く考えることです。

考える力を養うことです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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