義経は、最後は自分の軽薄さ、脇の甘さ、そして頼朝を
誤解し、頼朝追討宣旨を法王に進言した自分の未熟さが
頼朝を追い詰めたと、分かったのではないでしょうか。
だから笑いながら、自分の死をうけれた。
一方頼朝は、義経がいなければ、平家を滅ぼすことができなかったこと。
しかしあまりにも軽率で思考力のない義経が、
あの恐ろしい後白河法皇に遠隔操作されて、
自分にとって代わる可能性があること。
そうなるとまた、貴族の荘園社会への逆行や、
武士の奴隷化社会に戻りかねないことなど。
彼が背負っているものの大きさと厳しさから
義経に対し、冷酷にしかできなかったこと。
大きな時代の転換を背負い、
京の朝廷権力と対峙する頼朝は
義経と自分の運命を思い、
自分が殺した義経の首の前でで
泣くしかなかったかのかな~。
しかし、しかし、
もし私だったら
泣かない頼朝を書きます。
というのは、
人間の心理として、
少しでも感情が湧きだすと、
その感情が次第にその人を呑み込み、最後には
洪水のようになって、
自分が総崩れになる可能性があるからです。
これだけ冷酷に人を殺してきた頼朝は
自分が崩れないように、おそらく、どこかで
自分の感情にカギをかけたのではないかと、
思うからです。
大きく歴史を動かす人間、
例えば明治の大久保利通なども
そうですが、
どこかで自分の感情を疎外してしまいます。
そうじゃないとやってられないからです。
それにしても、
頼朝をこんなに泣かした三谷さんの頼朝構想は
これから彼をどのように描くのであろうかと思うと、
いよいよ楽しみになってきました。
そして菅田君の義経は、いつも通りといえばいいのか、
いつも通り、最後まで、
キラキラ輝いていましたね。

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