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◆なぜ頼朝は泣いたか!そしてなぜ、義経は笑ったか。

義経は、最後は自分の軽薄さ、脇の甘さ、そして頼朝を

誤解し、頼朝追討宣旨を法王に進言した自分の未熟さが

頼朝を追い詰めたと、分かったのではないでしょうか。

だから笑いながら、自分の死をうけれた。

一方頼朝は、義経がいなければ、平家を滅ぼすことができなかったこと。

しかしあまりにも軽率で思考力のない義経が、

あの恐ろしい後白河法皇に遠隔操作されて、

自分にとって代わる可能性があること。

そうなるとまた、貴族の荘園社会への逆行や、

武士の奴隷化社会に戻りかねないことなど。

彼が背負っているものの大きさと厳しさから

義経に対し、冷酷にしかできなかったこと。

大きな時代の転換を背負い、

京の朝廷権力と対峙する頼朝は

義経と自分の運命を思い、

自分が殺した義経の首の前でで

泣くしかなかったかのかな~。

しかし、しかし、

もし私だったら

泣かない頼朝を書きます。

というのは、

人間の心理として、

少しでも感情が湧きだすと、

その感情が次第にその人を呑み込み、最後には

洪水のようになって、

自分が総崩れになる可能性があるからです。

これだけ冷酷に人を殺してきた頼朝は

自分が崩れないように、おそらく、どこかで

自分の感情にカギをかけたのではないかと、

思うからです。

大きく歴史を動かす人間、

例えば明治の大久保利通なども

そうですが、

どこかで自分の感情を疎外してしまいます。

そうじゃないとやってられないからです。

それにしても、

頼朝をこんなに泣かした三谷さんの頼朝構想は

これから彼をどのように描くのであろうかと思うと、

いよいよ楽しみになってきました。

そして菅田君の義経は、いつも通りといえばいいのか、

いつも通り、最後まで、

キラキラ輝いていましたね。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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