ドラマ「絶メシロード」を見ながら、ふと考えたのは、
何か日本人は、文化のボタンを掛け違えたのではないか、という事です。
いつの間にか、大型資本がはびこり、チェーン店が闊歩し、
大量生産された、企画品の食べ物に毒されてしまった。
本当は、絶メシ食堂のように、街の片隅で、
熟した食職人の技術による、旨いものを、
もっと大切にしなければならなかったのでは、と思う。
社会というものは、ちいさなカケラの価値観が集まり、
集積するなかで文化が生まれ熟してゆく。
その小さなカケラのひとつひとつには、ちいさな個人の努力が熟している。
本当はそれを大切にしなければならなかったのでは、
と思う。
金を持った、大型資本の極めて雑駁な文化に、
日本国中が、イナゴの大軍のように食い荒らされてしまった。
残念なことに、人間は、失った後に、
失ったものの重要さに気づく。
全国の津々浦々にあった小さな絶品メシの大衆食堂。
しかしそこには、日本の食堂の大切なルーツがあったのかもしれない。
食堂のおじさん、おばさんが持っていた、
美味しいものを食べさせたいと、ささやかに提供されていた食職人の心意気。
それがいつのまにか消えていくとしたら、何と勿体ないと、
私は思うのです。
それは、食堂だけではなく、すべての事において、
日本人が、考えなければならないことではないか、と
思います。
もっと早く気づくべきだったと思います。

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