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◆絶メシロード4, 本当は日本が生き残る為に、守らなければならなかった。

ほんとうは、一人ひとりの中で熟したものが、文化になっていく。

文化は、おかみが上から作るものではない。

巷のあちこちで、人々の文化の芽がでてくるもんなのです。

文化は、下から、つまり民衆の中から生まれ、立ち上がっていくものである。

文化は、周辺(地方、僻地)で生まれる。

つまり、権力や冨から一番遠いところで種がこぼれ、芽が出、花が咲いてゆく。

生まれたばかりの最初のそれは、泥臭く、しかし原始的なエネルギーを持っている。

プリミティブなそのエネルギーと、装いは、さまざまに人々を席圏しながら、

やがて周辺から中央へと上ってゆく。

のぼるにつれ徐々に洗練されていく。

そして中央にたどり着いた時にはもう、プリミティブなエネルギーはなく、

むしろスカスカに骨を抜かれた、美しいが形骸化した文化になってしまう。

洗練される事は、決して良い事ではない。

むしろ、そこにあったプリミティブな生命力は衰退していく。

その文化の観点から現代日本をみると、

いかに、この国の文化がスカスカになっているかわかる。

つまり、中心核が無いのである。

しぶとく黒光りする、アイデンティティの柱がもう、

ガラガラに空洞化してしまった。

規律も秩序も、もうパッチワークのような切れ端になってしまった。

西洋化、擬似アメリカナイズ、そしてグローバル化、さらに

デジタル化されて、細かく刻まれてしまった日本の文化とアイデンティティは

どこに行くのだろう。

本当は、一人ひとりの個人の中にあった、

大事な個性と技術と文化が大切にされなければならなかったと

私は悔やむ。

なぜなら、そこにこそ、確実に成熟する文化が芽吹くからだ。

それは単に大衆食堂だけでなく、 多くの町工場や、職人や小さな個人店や、

農業や林業や漁業だってそうだ。

本当は守るべきだった。

もし、私が今の環境から解放されたなら、

是非、絶メシの食堂を訪ねてみたい。

もし、まだ絶滅せずにあったら是非、そのおじちゃん、おばちゃんの作る

絶メシをたべてみたい。

まだ、あったら、ね。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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