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◆ 言葉は芸術!

言葉は芸術だと、司馬遼太郎さんが書いておられる。

正確には、以下のように書いておられる。

「人間が最初に出会う芸術は、絵画でもなく、音楽でもなく、言語なのである」

私は常に、言葉は大事だと言ってきた。

そして、言葉をまきちらかしてはいけない、とも。

また私は、

自分の頭の中に浮かぶ映像(スクリーン)を、いかに言語化するかを頑張ってきたが、

司馬さんによると、世の中には、そのスクリーンが、真っ暗な人もいるとのこと。

となると、いくらこちらが言葉の練度や熟度を上げても、

それがまったく伝わらないこともある、って事ですね。

なるほどと納得。

そういえば、

以前に比べて、言葉が通じなくなったいるなぁ、とは感じている。

たくさんの人がブログやSNSをやっているにもかかわらず、

どうしてそうなのか。

司馬さんは、

スクリーンは、つねづね頭を鋭敏に訓練しておかなければならないが、

学校の現場ではどうなんだろうと、疑問を呈されている。

そういえば日本の学生達の文章の読解力が、著しく低下しているという報告が為されている。

短絡的に、 

数字や単語だけに反応する人が増えている。

長年テレビという、受け身だけの文化に浸りすぎたこと。

○✕式教育や、

答えがあることを暗記する受験教育も、

考えない人間を作りすぎたかもしれませんね。

以前私は「脳は空より広いか」というブログを書いたが、

脳のスクリーンがないことは、

自分の脳の中の可能性を、いたずらにぶっ潰していることでもある。

脳は記憶の連鎖を駆使して、さまざまに映像を結び、

ときにジャンピングしたり、ときに細密に焦点化したりと、

その人間の意識が、知らないところで、素晴らしく高度な作業をしてくれる。

つまり、分からないことや、どうしても引っかかることなどを、

脳の中に保留していると、

ある時、フッと答えがみつかったり、

思いもよらない事が浮かんだりするでしょ。

例えば私も、ある言葉で書きだしたものが、

いつの間にか、それがもっと発展してり、

思いもよらない結論がうかんだりという事が、

もう日常的にある。

それが脳の働きである。 

だから、

いつも、脳はすごいなぁ〜と思う。

そう考えると、

頭の中にスクリーンがないとしたら、

それは、本当に残念な事だと思う。

そして、すべての人が等しく言語の中を生きる人間は、

言語が芸術であるならば、

大げさにいえば、

それを磨く人生の日々を

芸術化するって事になる。

いやいや、こうして長年生きてきて、

見渡してみると、

確かに人が生きることは、

芸術的だと思いますよ。

そしてそれは、おおげさに芸術と銘打ったものではなく、

日々の暮らしの中で、喜んだり、悲しんだり、やっかいな人間関係に苦労するなかでこそ、

いぶし銀のような生きた言葉が、

その人のスクリーンに映像と重なり刻印されなるのだと思います。

そうして刻印された言葉と映像が、

いきいきと、人生の臨場感を

創り出すのだと、

思います。

今年の初朝顔です。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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