サッサと捨てて、シンプルに生きる、おまけ!

なぜ、日本人は他人や社会を忖度し、果てには
同調圧力をも作りだすかは、
日本の社会歴史の経緯にあると私は考えます。

江戸時代に施行された社会的掟に

宗門人別改め帳というものがあります。

これは最初はキリスト教を禁止するために、
すべての人々を寺に帰依させ、
寺請制度を確立し、
民衆がどの宗派を信仰し、属しているかを調べて台帳を作ったものですが、

江戸幕府は、
この台帳に基づき、
さまざまに民衆の暮らしと行為を取り締まりました。

特に江戸中期からの幕政では、
先祖を敬い、仏忌、盆、彼岸、先祖命日に、
寺に参詣しないものは裁きを受ける、ということから、

法事、結婚、養子縁組、旅行、遠出までにおいて
ことごとく人々が、寺、名主、寺社奉行の監視下に置かれ、
見張られながら生きていました。

それを踏み外した者は非人とされ、また
家は村八分にされました。

なぜ日本人は他者の眼を気にしたり、

集団や社会を忖度し、果てには

同調圧力まで作り出すのは、

突き詰めば、この人別帳にその原因があるのではないかと、

私は考えます。

おそらく、この人別帳で苦しめられたトラウマが心理にのこり、

他者や社会を忖度し、同調圧力を作る文化が

日本人の潜在意識として作られた。

それが、

無意識領域の中で遺伝子化してしまったのではないか、と思います。

だから自分では気づかない裡に、

他人の眼を気にしたり、怖れたり。

或いは集団の中に潜り込み、

集団として圧力にかけたりすることを、

何の吟味も、検証もせず、そのままやってしまう。

それが世論になってしまう。

でもね、今はもうそんなバカなことはありません。

ただ、一部の政治の世界やヤクザの世界や

ある種の集団などでは、いまだにそういうことが

まかり通っているかもしれませんが、

それでも、日本はちゃんと個人的人権が保障されている国に

なったのですから、

誰からも見張られたなんか、ないです。

そんな古くさい歴史の残りカスの感覚なんかサッサと捨てて、

自由にはつらつとご自分の人生の作り出してほしいと思います。

なぜなら、

個々人のその独創性こそが、日本という国を創発する

エネルギーやエンジンになるからです。

以上でこのシリーズは終わりです。

春がもうすぐ!!
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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