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◆芸術家が生きにくい、つまらない世の中になりました。

現代はほんとうに才能がある人が生きづらい世の中です。

底の浅い表面的なわかりやすいものばかりが評価され、

それが、メディアで幅を利かし、それに乗せられた大衆が、

ほんとうに才能がある人や作品を、

浅はかな正義感やヒューマニズムでつついたり、批判したりする。

才能とはある種の狂気でもあります。 

そこを心得え、かつ、才能がある作品は、

決してわかり易くありません。

それは、

人間や社会の聖なるところも闇の暗黒もすべてを俯瞰し、見渡した上で

人間や社会を描いているからです。

故に、不可避的に、

読者や鑑賞者の知性や度量が必要です。

また、時には、

鑑賞者の自省がつきつけられる。

そういう作品は、決して分かり易い大衆的なものにはならない。

しかし。

最終的には、

●大衆世界も知的世界をも包括するスケールを持っています。

さらにその才能の根底には、ある種の透明度がなくてはならない。

そして、残念ながら、一般的にバランスを保つ人々は、

●透明度にも、反対の暗黒にも、

拒絶反応を起こしがちなのです。

才能はある種の奔放さをもち、 

通常の世界体から逸脱しますから、

バランス感覚のある普通人は耐えられず、

それをじっと腹を据えて我慢し

て、見極めていくのは、

なかなかしんどい作業になるのです。

売れる為に書いていない事や

大衆に消費されるのを拒み

中途半端な妥協ができないからこそ、

才能が光った行くのですが。

それが理解されるのは、難しいね〜。

今私が思いつくのは二人、

才能がキラキラしていた人物です。

一人は小説家ですが、

奔放な感受性から投げ捨てられる毒のある言葉が空中を自在に飛び交い、

キラキラと輝いていました。

もう一人は、シンガーソングライターとして、

端正な言葉と曲が、慎ましく正座しているようでした。

たしかに彼はポップな歌を作ってはいるのですが、

この端正さをミーちゃんハーちゃんがわかるかどうか?

ところが二人ともが薬で捕まりました(苦笑!)

断っておきますが、二人とも、飛鳥さんのように軟弱な甘ったれじぁありませんよ。

作家の方は孤高で独特な言葉が、刀の切っ先のように鋭く、

シュールな官能的が漂い、

それがどんどん悪魔的に読み手をその世界に引き込む魔力がありましたねー。

しかし賞候補にはなっても、賞はもらえなかったです。  

ただ今、

彼が熟しているかどうかは、ちょっと疑問。

シンガーソングライターの方は高い評価をうけており、

地道に活躍していたと思っていたのですが、

どうしたのでしょうか、薬で捕まりました。  

昨今の、知恵の浅いネット大衆の正義感や、

定型的な美意識しか通用しなくなった世の中で、

奔放な彼らは、生きづらかったのではないかとも思いますが。

彼らはむしろ自分の作品の純度や

創造性の方へシフトしたような気がします。

純度が高くなればなるほど、大衆からは疎外されていきます。

それでも昭和くらいまでは、

そういう才能を支持し見守る評論家、出版社やプロデューサーなど、一定の人々がいました。

そういう志ざしや、覇気を持った人がいましたが、

今は、そういう人達は、ほとんどいなくなりました。

つまらない世の中になりました。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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