人間の愚かさは、見えないところにあるものの価値を見落としてしまう事です。
デジタル社会においては、現象を明確に仕分け、データ化でき、
そこには優れた利便性も発生しますが、反面、
表面に現象化していない、見えないところに(意識できない事)にあるものに対する、
不毛さがあります。
私は、無防備にデジタル社会へと
突っ込んでいかず、
むしろアナログ的世界の素晴らしさに、気づく事だと思っています。
例えば、経済や生産性や利益を優先する資本主義社会は、
数字や成果が優先されてしまいますが、
見えないところで下支えしている、
アナログ世界の何かがあるはずなのです。
これを脳の観点からみると、
人間の脳は常に、目に見えない世界、曖昧な世界を内包しながら、
つまり、説明がつかない世界をも内包し、
人間を成立させ、社会を成立させ、歴史を紡いできました。
この曖昧さの中に、さまざまなる可能性が潜んでいたのではないかと思います。
脳は、無意識という、
意識できない領域を分母に、
タイムラグを発生させながら、
一見関係のない事まで含めて、
アナログに記憶を連鎖、連結し、
高次、高度な考察を生み出して、発明、発見をして来ました。
このように脳のアナログ機能は、
デジタルのように二者択一ではなく、
きわめて茫洋としたスケールの中から、答えを紡ぎだしていきます。
これが脳の凄さです。
一方、一部の学者によると、A Iデジタル社会が進むと、人間の能力が仕分けされ、
無用な人々が生まれるとも言われています。
確かにそういう現象も起きると思いますし、
そういう価値観も生まれるかもしれませんが。
それは大変危険な考えであると同時に、
本当に無用なる人間はいるのであろうかと、私は思います。
なぜなら、数字に表れない世界や、人間がつくる社会の表面的な
●価値判断の良し悪しを超えたところに、
大切なものがあるかもしれないからです。
言うなれば、
A Iデジタル社会で弾かれた事象や人々の中に、
もしかしたら、私達が見落としいる大事なファクターが潜んでいるかもしれないのです。
映画「無垢なる証人」も、ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」も
自閉スペクトラム症障害の女の子が主役ですが、
自閉スペクトラム症障害の人々は、
第二次世界大戦時、ヒトラーによって人間としての価値を剥奪され、
社会的には無用な人間として殺されそうになりました。
しかし今では、この人々の中には、
常人ではあり得ない天才的な能力が潜んでいる事が明らかされています。
アインシュタインだって、もしかしたら、自閉的傾向があったかもしれません、
あくまでも私の推測ですが。
A Iデジタル社会の表面的な生産性ばかりに捉われていると、
奥に潜んでいる大事な事を見逃してしまう恐れがあります。
○
人間の脳の解明はまだまだこれからです。アナログ世界の解明もこれからです。
大切なことは、
人間はさまざまに存在している、ということです。
見えないさまざまな多様な才能が
社会を創り出しているのです。
私達一人ひとりの知恵や認識なんて、たかがしれており、
そういう限界の中で生きています。
更に、人類史においては、
その限界を、
私達は自分以外の他者と共に、
つまり、
社会の成員を総動員して、乗り越えてきたのです。
いずれにしても、A Iデジタル社会の短絡性はいつか限界が来るでしょう。
その時、
アナログ世界のスケールの大きさの中でこそ、人間社会が成立すること。
デジタル世界が活発な線の世界であるなら、
それは大地のようなアナログ世界に支えられていると、
私は考えます。
それを見落とさないこと。
そして、
今はもうボケちゃったうちの爺さんは、
会社は、できる人も、できない人も、皆んなで作り上げているが、
口癖でした。
それは社会も同じです。
皆んなで、よってたかって、
人と人の力で
社会をつくりあげるのです。
賢い人々はきっとそこに気づくと
思います。
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