始めにお断りしておきますが、
私は決して IT、A Iを否定するのではありません。むしろ
日本の I T化の遅れに苛立っています。
また私の夫田下憲雄は、50年前PCデジタル世界に注目し、
誰よりも早くそれを使った情報活用のシステムを作りました。
また、40数年前には、病院にカルテを置くと同時、
個人が自分の病歴や薬などの医療歴をデータ化した ICカードを持っことなどを言っていました。
これは未だ実現していませんが。
これからはI T、A I社会は爆進して行くでしょう。しかし
そこには、負の側面として、人間に退化が起きる可能性があり、
私はそれを懸念しています。
それにどのように対処して行くかを、
大きなフィールドから俯瞰して映画を作り、
またこの記事を書いています。
このシリーズを、
最後まで読んで頂けると幸いです。
では、本題へ行きます。
○
AI科学的テクノロジーが爆進し、伝統的世界やアナログ世界が消えていくなら、
それに対抗して、
伝統世界やアナログ世界をブランディングしたらいいと思います。
長い年月の間に磨かれた、
森や山の技術、海の技術、そして
街の工場の技術、
さらには歴史の中で、人間の手で作り上げてきたさまざまな伝統技術やその文化を
産業化する。
大事なのは●産業にすると言うことです。
どうしても日本には、職人気質的なものが強く、
優れた技術や優れた知識が、
優れた個人レベルで終わってしまう傾向があります。
個人レベルやその家の中で伝授されていく傾向です。
それだとその家や個人は栄えていくかが、そこからは広がらないし、
後継者がとぎれたら、そこでおしまいです。
そうではなく、それが周囲を巻き込み、
その技術がその地域の多くの人々にアピールし、共有されて
ビジネスと広がることこそが
大事なのです。
つまり、
ひとつの産業へと
成長させてこそ、生き残り、継続されて行くのです。
産業とは、特定の個人ではなく、
こころざしある人々に共有され、
●ひとつの大きな塊として、
社会の中で、台頭し(姿を現し)
たしかな生産と供給をすることです。
ところが、
日本人は、ここが、弱いのですよ。
島国根性と言うか、どこか閉鎖的なのです。
どこかスケールが小さい。
広がることのマイナスやリスクばかり考え、
広がることのスケール観が乏しいのです。
○
これからA I産業が爆進するでしょう。
その反動でアナログ的なのでものがどんどん消失するなら、
それこそが、アナログ的なものの
大きなビジネスチャンスです。
アナログの価値が高まると言う事ですね。
具体的な例を挙げると、
映画「何処かに美しい村はないか」にでてくる、
自然栽培のリンゴも、郷土人形も、豆腐も、
そして稲を田植えし、手で草をとる
ばっちゃの技術も、
すべてが
ブランディングの素材となり得ます。
あとは、それらを産業までに立ち上げていく、プロデューサーと
マネージャー、そして、
それを、目先の利害に捉われず、
長期的ビジョンを持ち、
地域産業まで押し上げていく展望を持った、
政治家と応援者が揃う事。
私からみれば遠野が、素晴らしい素材の山に見えます。
それは、この間苦い思いをして来た地方都市も同じです。
地方都市にこそ、潜在的なビジネスビジョンが、山ほどあると、
私は思います。
それは、
人間がつくりあげた、ほんものの製品の文化です。
人工的ニセモノではありません。
A I文明の対極に、
歴史や伝統や、自然性を分母にした、
これまでの人間の行き様を文化に詰め込んで、
産業化させるのです。
しかし決して、閉鎖的にならず、硬直せず、しなやかに、
人間とは何かを常に根底に睨んで、
ほんもののを生産する文化です。
実は、産業化についてはうちの爺さんから話を聞きました。
まさかこんなに早く彼が壊れるとは思っていませんでしたから、
もっと話しを聞いておけばよかったと思い、残念です。
ただ、なぜ、爺さん憲雄氏が、この映画制作を応援してくれたかは、
50年も前からPCデジタル世界に注目し、熟知し、
それを使った情報活用のシステムを作り上げた彼の天才的脳が、
もう一つの脳の働きであるアナログ的世界にある価値を、
見ていたからだと思います。
※大変恐縮ですが、天才脳とは、私がそばで彼を見ていてそう思った事であり、
その傲慢をお許しください。
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