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◆映画「どこかに美しい村はないか」の使命6、・アナログ世界とデジタル世界を、統合する過渡期?

脳の世界で絶え間なく走り続けるデジタルインパルスが、

情報ネットワークを作る前線の兵士なら、

前線から得た情報を基に、

常に全体を把握しながら方針をだす、グリア細胞のアナログ機能は、

統合本部かもしれませんね。

例えが古くてすみません…笑。

もしかすると今の時代は、

デジタル兵が走り回っている状態で、

それがどこにどのように、

収まっていくかが、実のところは

分からないのですが、

しかし、

これから解明されるグリア細胞のアナログの世界の凄さも、

もしかしたら未来では、

現出化されるかもしれませんね。

あくまでも希望的な話です。

その時、現実的な事として、

アナログ世界、アナログ産業と、

デジタル世界、デジタル産業とを、

どうコーディネートするかが、鍵になると思います。

またシリーズ2で書いたように、

人間の脳は、まだ解明されていない事の中に、

たくさん宝物があります。

目で見えないもの、曖昧なもの、

答えが定まっていないものの中に

宝がいっぱい詰まっていると

私は考えます。

人間は、まだまだ、これからです。

そう想像すると、現代社会のように、

皆んなが同じ方向を向いているのも、なんだか奇異であり、

みんながデジタルな兵隊にならなくていいのではないかと思います。

反対にデジタル世界の限界を踏まえ、

個々人の脳のアナログ機能🟰統合本部を、

じっくりと時間をかけ磨くと言う事も大事にしなくてはなりませんね。

デジタル世界とアナログ世界の両方を使いこなせたら、最高です。

しかしそれは

脳の内部では、すでにやっていることですよ。

それともう一つ、お伝えしたい重要な事があります。

それは、

過去の歴史の中の文化と文明のすべてが、

未来への総合データベースである事です。 

亡くなられたジャーナリスの立花隆さんは、

すべての人の現在は(脳と身体の現在は)

◎その人が過去に経験した事の集大成としてある、と書いています。

これは単なる個人だけではなく、人間、人類にも当てはまると私は考えます。

つまり私たちの現在は、

過去の歴史や伝統や文化文明の集大成であり、

それを土台に、

未来へと向かうべきである、と

言う事です。

あまりにデジタル文化が世界を席巻して行く中、

これまでのアナログ世界が、

ポツンと切れたり、価値を無くしたり、消失したりする可能性があります。

私としては、そうならないように、

アナログ文化を分母にして、

デジタル文化との統合を視野に入れて、

その過渡期として今がある、と言う風に考えます。

どうぞ、賢い人は、自分のアナログ性

・もの事の全体を見渡す力や、

・時間差の中で起きてくる、

・統合性や創造を、

ちゃんと担保していて欲しいと私は思います。

脳の恐ろしさは、

使わない回路は退化していきますからね。

今日は、ここまで、で。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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