これから時代がどんどん進んで行くにつれ、
もしかしたら人間社会は荒んで行くかも知れないなぁと、
思います。
またネガティヴな事ばかり想像している、と思われる方もおられると思いますが、
どう考えても未来が明るく輝いて見えないのです。
そんな中で、
ひとつだけ、光って見えてくるのは、
科学的利便性の未来社会にもかかわらず、
デジタルな文化と文明に、
神経が疲労し、疎外感に陥った人が、
映画「どこかに美しい村はないか」をみて、
目が輝き出すことです。
何でもA Iロボットが代行してくれ、痒いところに手が行き届き、
便利で効率も良い社会で、
楽になったはずなのに、
なぜか、気分が退廃する、その時、
この映画の中の、
美しい山々と田園と、
イキイキと働く人々を見た時、
おそらく人々は、ハッとして、
今自分達に欠けているものを、
思いだすでしょう。
映画の中の児玉さんの絵や、
R akiraさんの音楽や、そして
茨木さんの詩の中にある、
さりげないが、最も大切なことを
思い出すでしょう。
それらは全てが、
自然の摂理の中を流れている
美しさである事に、
気づくでしょう。
労働に汗をかく喜び。
労働を終えた安らぎ。
そして、
収穫への感謝。
力を合わせて共に生きる
逞しさ。
もう、すっかり消えてしまった、
その大切な事に、気づく時。
何十年も先の話しですが、
それだけで、
この映画を撮った価値があります。
良かったね、
能勢監督とスタッフの皆さん!
そして、
ありがとう、遠野の皆さん!
(終)
※追、私は一時、人間はA Iに負けるかも知れないと思いましたが
今は、そんな心配などナンセンスだと思っています。
人間は、我が道をゆくで、いいのです。

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