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◆映画「どこかに美しい村はないか」の使命!最終回、未来で!

これから時代がどんどん進んで行くにつれ、

もしかしたら人間社会は荒んで行くかも知れないなぁと、

思います。 

またネガティヴな事ばかり想像している、と思われる方もおられると思いますが、

どう考えても未来が明るく輝いて見えないのです。

そんな中で、

ひとつだけ、光って見えてくるのは、

科学的利便性の未来社会にもかかわらず、

デジタルな文化と文明に、

神経が疲労し、疎外感に陥った人が、

映画「どこかに美しい村はないか」をみて、

目が輝き出すことです。

何でもA Iロボットが代行してくれ、痒いところに手が行き届き、

便利で効率も良い社会で、

楽になったはずなのに、

なぜか、気分が退廃する、その時、

この映画の中の、

美しい山々と田園と、

イキイキと働く人々を見た時、

おそらく人々は、ハッとして、

今自分達に欠けているものを、

思いだすでしょう。

映画の中の児玉さんの絵や、

R akiraさんの音楽や、そして

茨木さんの詩の中にある、

さりげないが、最も大切なことを

思い出すでしょう。

それらは全てが、

自然の摂理の中を流れている

美しさである事に、

気づくでしょう。

労働に汗をかく喜び。 

労働を終えた安らぎ。

そして、

収穫への感謝。

力を合わせて共に生きる

逞しさ。

もう、すっかり消えてしまった、

その大切な事に、気づく時。

何十年も先の話しですが、

それだけで、

この映画を撮った価値があります。

良かったね、

能勢監督とスタッフの皆さん!

そして、

ありがとう、遠野の皆さん!

      (終)

※追、私は一時、人間はA Iに負けるかも知れないと思いましたが

今は、そんな心配などナンセンスだと思っています。

人間は、我が道をゆくで、いいのです。

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田下啓子

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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