MENU

◆平松伸一郎氏を悼む

私の尊敬する加藤孝一画伯は、中央画壇が大嫌いであった。

画伯はそんなものには目もくれず、

板橋の小さなアパートで、毎日絵を描いておられた。

画伯の絵は抽象画であったが、

そこにはほんのりとした色気やユーモア、そして気品があった。

私も中央の文壇のギラギラが大嫌いであり、さらにヤクザまがいの出版の世界と,

それにマインドコントロールされる大衆読者も、どうでも良くなり、

いつの間にか現代小説も、文学雑誌も一切読まなくなった。

その一方で、中央とは遠く、むしろ地方に根を置く平松さんの様な作家に出会い、

惹かれだした。

平松さんの岩手日報に書かれたコラムには、

少年伸一郎の故郷釜石への郷愁の風が吹いている。

またその甥御さんの旅館の話しを聞いた時も、いいなぁ〜と思った。

このいいなぁ〜というのが、

私のすべてであり、

この言葉でしか現せ得ない共感と同調がある。

ベタベタと言葉を尽くしたくないのである。

平松氏は、映画「どこかに美しい村はないか」の釜石上映をプロジェクトしてくださった時も、

わざわざ遠野まで足を運び、いつのまにか、町にポスターが貼ってあった。

その飄々たる姿がいいのである。

いかにも何気なく、普通に当たり前の、その生き方が、いいなぁと、私は素敵に思う。

書くという事は、その言葉、その文章の中に全てが表れる。

その時、いかに清流に棲む鮎のようであるか、

その上空には、

清々しく風が吹いているか、いないかが

容赦なく伝わっていく。

反対に、ベタベタ、ギラギラの作家の油分が、私はごめんなのである。

だから中央大衆が賞賛するものに私はそっぽを向く。しかし

時に、地方で、

ハッとするような清々しい文章に出会う。

それが平松さんのコラムだったり、先般ご紹介した、

遠野の民宿<わらべ>の訪問記事だったりすると、

私は思わず、

いいなぁ〜と、心がザワッとする。

勿論いい意味でね。

3.11の津波の事を綴られた山がら文庫の前田さんの文の前には、

こうべを垂れるしか無かった。

しかし 

いいなぁ〜と思った。

いいなぁ〜と思いながらも決して安直には近寄らず、

私いつも、遠くからその姿を見て、

そんな風に自分もなれたらと、

密かに憧れていた。

平松さんの事も私は遠くから見ていた。

このたびの訃報、本当に残念です。

ご冥福をお祈りします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする

目次