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なぜ私がインテージホールディングスに絶望したか….。

なぜ私がインテージがホールディングスになったことに絶望したかを、正直に書きます。

ただ、これは非難でも否定でもありません。

反対です。

憲雄氏が大きな長期的なスケールでインテージを考えていた事をお伝えしたいのです。

また、私は直接インテージには関わっていませんから、

いわば関係のない人間です。

しかし、

人が生きる場としての会社を作る、と言う憲雄氏のビジョンを後ろから支え、私も、

インテージに、自分の人生を捧げたと思います。

インテージの為に、沢山の事を諦めました。

だから、インテージは私にとって、理想の会社として生き残り、輝いてほしいです。

インテージの皆さんの為に、

愛を込めて書きます。

    ○○○

なぜホールディングスになった事に、私は絶望したか。

結論から先に言います。

インテージから、

インテージの大切な柱である

デモクラティックなものが、

失われかねないからです。

    …

資本主義経済は、最終的には、デモクラシーと対立していきます。

不可避的に弱者を作り出していきます。

一部の人間にだけ富をもたらし、貧富の格差を促進して行きます。

その結果、社会は不平等になり、

人間の尊厳をも、疎外していきます。

特に金融経済に走れば走るほど、 

マネーゲームの金儲けが目的化されます。

会社なら、その利益追求が目的化されていきます。

そうなると、社員は利益追求の要員用に先鋭化され、

それ以外の社員は、疎外されていきます。そして、

●もし、インテージから、

デモクラティックなものが失われたら

終わりなのです。

300年前の市民革命と産業革命で生まれたデモクラシーと資本主義は、

おなじように、自由を標榜しながらも、

最終的には、対立関係になってしまうのです。

自由競争を基に、

その創造性やパワーが、

資本主義経済を促進します。

●健全な投資による実体経済が働いている場合は、とても有意義です。

しかし、金融マネーゲームが蔓延り、

投資が金儲けに目的化され、

実体のない金融経済がはびこった瞬間から

資本主義は、金儲けの毒をもち、

それは翻って、

人間の社会や文化を歪めていきます。

金儲けだけの為の投資がはびこり、

人間を金儲けの駒のように扱うブラック企業がはびこり、

まじめで、まともな人々が、どんどんはじかれていきます。

それに絶望した人々のあいだには、

虚無感が浮遊し、

自由や人間の尊厳への意識、思想、哲学が、

まるで綺麗事の紙っペラのように薄れて行きます。

現代の日本はまさにそれが顕著になってしまいました。

つまり、人間の欲に資本主義が汚染された結果として、

日本の政治の劣化、経済の衰退と、 

日本人の知性と文化の著しい後退が

現象化しているのです。

そして日本はもう経済に対して、

政治は打つ手がない、と言うのが実情でしょう。

民衆が持つ本来の生産性の ダイナミズムが生かされず、

それをいかに経済に再構築していくかを怠り、

安易に盲目的に、マネーゲームに走った自由主義諸国は、

政治が劣化し、世相が歪み、 

人間の尊厳に対する意識が薄れ、

ヘイトがスピーチが現れ、

政治が安易なポピュリズムに陥ります。

人々はもう自分達の生活を守る為には、なりふり構わず、

直接的な利害をもたらしてくれる政党や、

トランプ氏などのような自国優先の力技の政治家を選ぶのは、

いわばある種、当然の現象なのです。

だからこそ、憲雄氏は、 

株式会社でありながら

資本主義と金融経済の、その負のスパイラルに絶対巻き込まれない会社を、

作ろうとしたのです。

経営理念の中に、人間の尊厳が、デモクラティックに貫かれている会社です。

社員の自由を保障し、

社員がイキイキと自己実現する場としての会社です。

更には、

できる社員(数字を出す社員)も、

できない社員(見えないところで会社を支える社員)も、

さまざまな個性が多様に関係し合い

そして、経営と現場は最終的には

一体となり、

その全体が生み出す

創造性と智慧とエネルギーが、

利益を生み出していく理想の会社として、

インテージを現実化しようとしました。

だからこそ、自分の身体が捩れ、ちぎれそうになっても、

経営と現場を

ひとつにして守らなければならない、と

考えていた、と、思います。

マネーゲームではなく、

実体経済で真っ当に得た利益を、

いかに社員に還元するか。

インテージで働くことが、

いかに社員が幸福につながるか。

そう言う価値を持ち、

そういう意義のある仕事をやり抜く会社を

株主が応援してくれる。

それが、社員が

人生の時間の、殆どを投入する場としての

価値ある会社、  

やりがいのある会社、インテージ、

なのです。 

自分がいなくなっても、

50年は大丈夫な会社にしておくと言う彼の言葉の意味も

ここにありました。

その事も含めて次回さらに書きます。

       続く。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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