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日本人の才能!

ドナルド・キーン先生は、

日本人は、現実的に考え得る限りの形で仏教を日本化した、と

言っておられる。

これはまさに日本人の特質であり、

秀でた才能でもある。

言語も、見事に漢字を日本化し、さらには、

平仮名という変形アレンジメントまで創り出したのだから。

仏教も、最澄も空海も道元も、日蓮も法然も親鸞も、

見事にその時々の民衆の為に仏教をアレンジメントした。

中でも道元の認識論は、まさに脳科学を先取りしたような世界であるとともに、

私は、映像的に美しいその言葉に、感動した。

古代万葉の時代から一貫して日本の中に流れる美の世界がある。

美の感性ともいえる世界がね。

それは決してパワフルな原色がギラギラする、他のアジア諸国にはない、 

しっとりとシックな、ある種の抑制が効いている美しさでもある。

例えば、

初めは金や真っ赤で彩られていたであろう建築物や仏像が、

時の流れとともに色褪せても、

日本人は キンキラキンや真っ赤に塗り直す事をしない。

自然の時の流れの中に晒し、

茶色く枯れていく様を受け入れた。

そこに、日本人の感性と哲学がある。

外来のものが、いつの間にか日本風に咀嚼され、

自然へと回帰し、

そこから、

詫や寂や儚さや風流という、

成熟した大人の文化が生まれました。

それらは決して<剥き出し>ではない。

控えめで、慎ましく、いつも

私達の傍に立っている知性でも

ありましたよ。

歴史にしても、

荒々しい殺戮もあったはずであるが、

傍らにいつも、和歌が佇み、

命を惜しみ、相手を惜しみ、自分を

惜しみ制する日本人の姿があった。

それがいつの間にか、

剥き出しの自分を振り回したり、

節操もなく他者を攻撃するネット族が発生したりの、

アホと軽薄が罷り通るようになった。

男も、勇敢な男が消えた気がする。

軟弱なヤツが増えたね〜。

女性にしても、奥ゆかしいとか、

慎ましいが、死語になってしまいました。

太ももを露わにして平気で歩いたり、

肩を出し、おへそまで出して歩く女性。

先日の地下鉄では、…。

私はもう少しで、

あなた、パンツ丸見えよ、といいそうになりました…苦笑!

行儀というものも消えていきました。

全体的に、小児文化になり、

困ったことに、

成熟するより、精神が幼稚なままの大人が、増えました。

私はあの日本の文化と才能を取り戻したいです。

世界で唯一の、

独特の日本の文化の国でありたいと思う。

せかせかとせせこましい現代文化から脱し、

美しく、清新な文化の国として、  

日本の、大人の知の文化を、

侘び茶のひと時の文化を

取戻したいです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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