これから私が書こうとしているのは、
もしかしたら私の思い込みや独断があるかもしれません。
ただ、私はとてもアンデルセンに感動し、
そして彼の内面世界にある透きとおった愛の世界を感じるのです。
最終的には、その世界こそがアンデルセン童話を貫通しているからこそ、
そこに世界的な普遍性が生まれたと思います。
私が感じるそれをそのまま、素直に正直にお伝えしたいのですが、
どうでしょう、書けるかな~?
まあ、とにかく書いてみます。
アンデルセンが描くのが、なぜ小さな愛の世界なのか。
それは私がアンデルセンの小説や童話の核には
ちいさな個人への愛があります。
彼が伝えたかった世界は
彼が手のひらで包みこみ、温めてきた、
ささやかな愛の世界ではないか、と
思うからです。
思うからだけでばなく、ほゞ確信しています。
それはどんな愛なのかを、
アンデルセンの童話を追いながら、お話していきたいと思います。
まずはその1「みにくいアヒルの子」から。
アンデルセンは30歳の時にその代表作ともいえる
「即興詩人」を書いたあと、童話を書き始めます。
最初は、彼が子供の頃、お父さんから読み聞かせてもらった
「アラビアンナイト」を真似した「火打ち箱」、そして
「小クラウスと大クラウス」「エンドウ豆の上に寝たお姫様」
「イーダちゃんのお花」という童話を書き、
そのあと、
それまでの昔話やおとぎ話などの童話と異なる、
●文学までに引き上げられた童話の世界を書き出すのです。
まずは、彼のオリジナルな言葉世界を注ぎ込んで、
「親指姫」を書きます。
「親指姫」の文章は書き出しから、
夢のように美しくロマンチックな言葉世界であり、
アンデルセンの女性性、
乙女のアンデルセン世界がパッと花開きます。
そして主人公も小さな生まれたばかりの女の子です。
ただ、この女の子はまだまだアンデルセンの女性性が、
未成熟のまま書かれており、
彼女はいつも誰かに依存して生きようとします。
たとえばヒキガエルの嫁さんになるのを防いでくれた魚たちであり、
野ネズミのお婆さんやもぐらやツバメなどに依存します。
親指姫は心は優しいいのですが、その精神はとても軟弱です。
さらに、アンデルセンの青年としての投影であるツバメは、
ホントは親指姫が好きなのに、そういう自分をあきらめているツバメです。
これはまさしく、この物語を書いた当時のアンデルセンの立ち位置が
そうであったのだと思います。
未熟な女性性と軟弱な男性性そして、出自のコンプレックスを抱えて、
貴族であり、当時の実力者である、ヨナスコリーンと
その一家に依存しながら生きていたアンデルセンです。
そんな中、32歳の時、
ヨナスコリーンの息子エズヴァードに恋をし、しかし
エズヴァ―ドが結婚することによって突き放され、
嘆きの中で書いたのが
「人魚姫」であろうと、私は思います。
「人魚姫」ではどうにもならない自分の恋愛感情と立場を描き、
そして天に昇って空気の精へと昇華する、という筋書きにしたと思います。
ただ、エズヴァードの結婚は、
アンデルセンの女性性がどうしても自立せずをえなくなり、
今度は、それを助けるアンデルセンの男性性が
「一本足のスズの兵隊」として登場します。
しかしこの「一本足のスズの兵隊」も万全のアンデルセンではありません。
まだまだ、自分を十全に肯定しきれていないアンデルセンの姿です。
さらにこの兵隊さんは、自分が恋をしたバレリーナとは、
二人ともが暖炉の中で燃やされ、灰になってしか結ばれません。
ただ、親指姫に比べたら、兵隊さんはシャンと背筋が伸びており、
そこにアンデルセンの矜持が見えてきます。
そしてこれは、私の思い込みかもしれませんが、
兵隊(アンデルセンの男性性)とバレリーナ(アンデルセンの女性性)が
暖炉の火のなかで、燃やされて、一つのハートになったことも
アンデルセンの男性性と女性性の統合を表すのではないかと、思います。
つまり、ここでしっかりアンデルセンの中に
総合的な自己の確立の端緒ができたのではないか、と思います。
33歳の時に「一本足のスズの兵隊」を書き、
さらに「野の白鳥」(別名「白鳥の王子たち」)を書きます。
主人公のエリーサには、強い信念と勇気が与えらています。
いよいよアンデルセンの女性性がしっかりと立ち上がってきています。
そんな中、もう5年かけて、今度は
アンデルセンの男性性が、
その自己肯定の証となり、
いよいよ「みにくいアヒルの子」が
登場するのです。
「我が尊敬のアンデルセン」でも書きましたが、
アンデルセンは最下層の貧乏な靴職人の息子であり、
祖母は売春で暮らしをたてていたふしがあります。
そういうアンデルセンが、
14歳の時こころざしをもってコペンハーゲンに行き、
たくさんの苦労と試練の中、作家として頭角を現してきます。
そして「即興詩人」で成功を手にしてのし上がったアンデルセンは、
作家としての名声を得、貴族たちの社交界の仲間入りをしますが、
どうしても、自分の出自に対するコンプレックスが
彼を苛んだであろうことは容易にわかります。
そんな葛藤の中で書いたのが「みにくいアヒルの子」だと思います。
「みにくいアヒルの子」は約1年かかって書かれていきました。
そうなんです、1年もかけてアンデルセンは着々と
自己を立てていったのです。
話が前後しますが、その前の
アンデルセン31歳の時に書いた小説「O・T」では、
まだ自分のコンプレックスを
乗り越えられないアンデルセンがおり、
主人公のオットー・トーストルプは、
貧しい下層の娘である母親と貴族の父親という出自をもつ
若者の苦しみが書いてあります。
丁度その頃、同時に「人魚姫」も書き、
同性愛者としても、また出自からしても、
どうしても乗り越えられない現実の中でもがくアンデルセンがいます。
つまりどこかで現実を超越せざるを得ないアンデルセンです。
その次に書いた小説が「ただのバイオリン弾き」です。
これかは題名からも分かるように、
素晴らしい才能と技術を持ちながらも、
ただの巷のバイオリン弾きで終わる若者の話です。
アンデルセンは強烈な上昇願望を持っていたといわれます。
そしてその通りに才能を表し頭角していきます。
その心理の中は、常にコンプレックスとの確執があり、
なんとか自分の気持ちを収めるためにも、
「ただのバイオリン弾き」というステージを設定しました。
おそらく
自分のコンプレックスを乗り越え、
名声や地位に固執しない自分の下敷きを敷いたのではないでしょうか。
そして、38歳の時やっと「みにくいアヒルの子」を書くことで
自分を愛し肯定する柱が立ったのではないかと思います。
つまり自分の出自も生い立ちも身分もすべてをそのまま受け入れ、
それをそのまま愛するほうへ舵をきったと思います。
32歳で「人魚姫」を書いたアンデルセンから、やく6年後に
「みにくいアヒルの子」が書かれますが、
その間悩み続けるアンデルセンの背後には、
産業革命による近代化と
崩れ行くデンマークの封建社会がありました。
つまり身分を超えて市民が台頭し、
実力社会が生まれてきた時代です。
楽しく幸せそうな他のアヒルの子にくらべ、
異端で、出自が不明なアヒルの子はまさにアンデルセンその人です。
最低下層からのしあがっていくアンデルセンが、
しっかりとその足場を整えたのが
「みにくいアヒルの子」だと思います。
つづく!

冬の名残の花束です!
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