ある青年と話した。
その時話題になった三島由紀夫について私が、
三島はほんとは才能があるわけじゃなく、才能ある自分になる為に、
凄い努力したんじゃないだろか、と言ったら、
彼が、鴎外の娘の森茉莉さんも同じ事を言っていた、と教えてくれました。
やっぱりなー。
森茉莉さんも世評に惑わされず、
自分の目で見てるんだと思いますよ。
そして、本当に才能がある人は、なんちゅうか、軽やかだからね。
才能とは、備え持った能力だから、あまり努力などしないでも、
サササ、って現れてくる。
だから、たとえ重たいもの書いてもそこに風が吹き抜けている。
逆に、
努力の賜物は、どこか隙がなくて重いのよ。
森茉莉さんで思い出したのが、鴎外家のビーフシチュー。
キャベツ一個を四つくらいに分けて切り、牛のももやスネ肉の塊に塩胡椒してぶっ込んで煮込む。
ただそれだけだけど、美味しいのです。
ちなみに私はそこに昆布一枚入れて煮ます。
余計なものが入っていないそれを、
コトコトと1時間以上煮込む。
何時間くらい煮込んだかなぁ。
以前はよく作ったけど、忘れちゃった。
ついでに言うと、鴎外の文も重くない。
重くないが、重厚で切れ味が鋭い。
漱石の文も細密でテーマはかなり重いけど、脳が洗練されているから途中で躓かない。
「行人」などはあの時代によくここまで突っ込んだなあと思う。
三島の文は、読んでいて少し辟易した。それは、もしかしたら私が女だからかもしれない。
ちなみに言わなくても分かるでしょうが、森茉莉さんも女性です(笑)
男作家は、彼の無意識の中に、
女性への尊敬があるかどうか?
そこら辺が、分かれ道かな、とも、
私は思う。

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