インテージ常務であった野尻さんが亡くなられました。
私は野尻さんの人柄が大好きで、
本当は野尻さんに、憲雄氏の事をご報告に行こうと思っていた矢先であり、
突然の訃報にビックリいたしました。
野尻さんは、銀行から来られたのですが、
野尻さんほどインテージデモクラシーを理解し、
インテージを愛し、
インテージの人間より、インテージらしかった人はいません。
※インテージデモクラシーは、私が作った造語です。
野尻さんは銀行から来られ、
まだまだ発展途上の社会調査研究所(のちのインテージ)の放漫経営を
スリム化する為の人員整理などの
大変厳しい仕事を請け負ってくださいました。
先日弔問に行き、その慰霊に心からの感謝をお伝えしました。
その時、奥様からお聞きしたところによると、
当時銀行からは、大変な会社に行くことになると、言われたそうです
実際に行くと、まさに手がつけられないほど負債を抱え、
経営はどんぶり勘定という、
大変な状況であったらしい。
その中で、メスをふるい、
「人切り野尻」と言われていたと、奥様には、
苦笑されていたらしいです。
家に帰りその話を憲雄にしましたら、
野尻さんは、頑張ってない人には厳しかったけど、
それでもみんなには優しく、
「仏の野尻」とも言われていたよと、
言いました。
おおらかで、豪胆であり、かつ繊細さを持ち合わせた野尻さんでした。
我が家に来られ、お酒を飲みながら
「田下は気がきかねぇからなぁ〜」とおっしゃっていたのをよく覚えています(笑)。
野尻さん、本当にありがとうございました。
◎会社は人である。
人間を一義的に優する、優れたクリエイターでもあった大部社長の元、
「会社は人である」という事を体現しておられたのが、野尻さんです。
その大きな抱擁力がインテージを包み込んでいたと思います。
当時は、権力的志向する人は、
ダサイ人であり、
派閥や取り巻きなどを作る人は、
小物と嘲笑されました。
また、上を忖度する人間も、
部下イジメをする人間に対しても、
厳しい社員の目がありましたよ。
逆に、
インテージデモクラシーともいうべき
自由の思想や雰囲気が
会社内で、イキイキと息づいていました。
それが会社の上から下まで浸透していたように私には見えました。
この大切なインテージデモクラシーは、
今も守られているのでしょうか?
最後に、これも憲雄氏から聞いたことを書いておきます。
あの労働争議の真っ只中の中、憲雄氏達は、
当時の大株主であるエーザイの内藤会長に会いに行ったそうです。
憲雄氏達の話を聞いた内藤会長は、
はっきりと、
「 君らが正しいと思う事をやれ」
と、おっしゃったそうです。
それは若き戦う社員達へのエールでもありました。
内藤会長も、銀行から来た野尻さんも、
素晴らしいかったです。
優れた会社は、
優れた人達に囲まれ、育てられる。
どうかインテージもそういう会社であり続けて下さい。
野尻さんのご冥福を、祈ります。
※写真は野尻さんの奥様の喜美代さんと私です。私たちはインテージを裏から支えた戦友です。

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