一つ書き忘れていました。
この前にブログで書いた「わが尊敬のアンデルセン」でご紹介したように
アンデルセンはバイセクシャルの人だったことです。
私は、
アンデルセンがバイセクシャルであったことが
より深く人間を洞察し、
さらに男女を超えて人間の苦しみを崇高に描くことができたと
思います。もちろん喜びもです。
またジャッキー・シュレジンガー著「アンデルセン」ーある語りての生涯ーを
訳された安達まゆみさんは、訳者あとがきの中で
「研究者たちは、アンデルセンのバイセクシャリティーについて
沈黙を守ってきた。だが、それこそが彼の奥深い芸術の原動力である」と
書いておられます。
私も実に同感です。
「みにくいアヒルの子」は、
バイセクシャルのアンデルセンが、
一人称で書き、
自分のアイデンティティーにちゃんと依拠して生きることに
覚醒したのだと思います。
さて、
「みにくいアヒルの子」を書いたあと、
自信に満ちたアンデルセンの驀進がはじまります。
そして書かれたのが名作「雪の女王」です。
「雪の女王」にでてくる女たちは素晴らしいです。
勿論そばでそれを支える男たちもです。
友達の少年カイを雪の女王にさらわれた少女ゲルダが、
探しに出かけます。
その旅の途中で、様々な女たちに出会います。
最初は花園お婆さんと美しく咲く花たち。
しかしこの花たちは、綺麗でゴージャスでありますが
彼女たちがしゃべるのは自分のことばかりで、
何と薄っぺらで空疎でしょうか。
実はアンデルセンの中には、こういう表面的な美しさや
虚栄的な豪華さ、いわゆるナルシストに対しては、
かなり手厳しいものがあります。
これはもうはっきりしていて、
アンデルセンは物事の本質や根源的なところをサーチしながら
そこに焦点を当てて童話をつくりました。
だからある意味ではリアリストでもあるのです。
そのことは童話の中で始終貫徹されている
アンデルセンの哲学でもあります。
さて「雪の女王」の本筋に戻ると、
ゲルダは、さらに旅をつづけ、
今度は素敵な女たちそして男たちに出会います。
それは次回詳しく書きましょう。
つづく。
チューリップが咲き始めました!
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