アンデルセンのその小さな愛の世界3,雪の女王!

「雪の女王」は、悪魔の作った魔法の鏡が割れて飛び散り,

薔薇が咲く小さな庭で少女ゲルダと一緒に遊んでいた

カイ少年の眼と心臓にその破片が突き刺さりました。

そのためにカイ少年は心が歪んでしまいます。

そこへ雪の女王が来て、カイ少年の心と体を

氷で凍結して連れ去ってしまいます。

少女ゲルダは急にいなくなったカイ少年を探しにでかけるのですが、

最初にでてくるのが、前回ご紹介した花園の魔女のお婆さんです。

彼女はその花園から脱出し、次に会うのが烏とその彼女の烏、

さらに烏の彼女が仕える賢い王女と王子です。

賢い王女と王子から馬車をもらい冬支度をして

再び旅にでかけますが

次に出てくるのが山賊の娘です。

この、まるで男の子のような山賊の少女は

ナイフを振り回す、粗野で乱暴者なのですが、その心根の底には

とても純粋なものを持っている女の子なのです。

この山賊の娘の性格デッサンは、逸品だと

私は思います。

この女の子の飼うトナカイに乗せてもらい、次へと

ゲルダが旅立ちます。

ゲルダの旅に次々とでてくる

登場人物たちは、ゲルダを応援し、勇気づけ、さらに

必要な物を援助します。

さらに次にゲルダを助ける、

熟した女たちとして登場するのが、

ラップランドの女の人と、フィンマルクの女の人です。

特にフィンマルクの女の人は、

温かい母性の中に父性的な

冷静沈着な理性を備えた女性です。

トナカイがゲルダを乗せて、いよいよ雪の女王の宮殿へと向かうのですが

その時、トナカイはフィンマルクの女の人に

ゲルダがカイを救い出せるように手を貸してもらえないか、と

頼みます。

しかし彼女は、

ゲルダは自分たち以上の力を持っており、

ゲルダには自分でやり遂げる力がある、といい

トナカイにも、一切手を貸すな、と言います。

そしていよいよゲルダは、

たった一人で雪の女王の宮殿へと乗り込み

気味の悪い雪の妖怪たちと戦ったのちに

カイを救い出します。

アンデルセンが「雪の女王」を書いたのは、

彼が39歳の時です。

親指姫を書いたのが30歳のときですから、

この9年の間に何があったのでしょうか。

少なくとも、

人間としての大きな成熟が見られます。

「親指姫」や「人魚姫」の時は

アンデルセンの女性性は、感情と感傷の中で依存的です。

しかし33歳の頃の、「しっかり者の一本足の兵隊」では

彼の男性性が顕れてきて、女性性(バレリーナ)をリードします。

さらに「白鳥の王子たち」では

主人公の少女エリーサの中に、女性の母性の他に

理性としての父性性が顕れています。

そういう流れの中でみていくと、

「みにくいアヒルの子」の中には、

アンデルセンの男性性の確立がなされ、さらに

バイクシャルとしての自己肯定がしっかりと大地に足をつけたと思います。

そしてこの「雪の女王」ですが、

いよいよゲルダはカイと再会するのですが、

カイは冷たく身体を凍らせてジーっと座ったままで、

心を開きません。

その時、カイを抱きしめながらゲルダは泣き出してしまうのです。

しかしその熱い涙がカイの胸に落ち、

心臓に刺さった欠片を溶かします。

そしてカイの眼に浮かんだ涙が、今度は、

彼の眼に刺さった鏡のかけらを

流してしまいました。

「雪の女王」では、とにかく女性たちの活躍が素晴らしいです。

女性たちは母性を持ちながらも、

一方では父性の理性がちゃんと機能しています。

ここに、私は、バイクシャル者としてのアンデルセンの本領をみます。

女性的な感情に流れされていない分、文章にドロドロがなく

凛と引き締まった格調があります。

まあアンデルセンの童話はすべてそうであるか、というと

そうでもない作品も沢山ありますが・・・苦笑!

童話を訳したナオミ・ルイスさんも書いておられるように

「雪の女王」こそは。

創作童話としては、最高峰でしょう。

そして彼の作品を時系列に見ていくと、

ここに至るまでのアンデルセンの心の軌跡には、

大変な苦労とさらに当時の文学や芸術や思想や哲学や

科学や天文学などなどを

多岐にわたって読み、研究し洞察した跡が

読み取れます。

童話は、

彼がもっとも根源的な大切なものへと追求していく中から

生まれたのだと思います。

さらに「雪の女王」はカイに

「『永遠」という言葉を

上手く作れれたら、

お前の思い通りにしてやろう」という課題を

与えます。

もし皆さんの中で「人魚姫」を読まれた方がいるなら、

思い出してほしいのですが、

人魚姫が自分のお婆さまから

人間と人魚の違いは

人間は死ななければならない。

しかし人間には魂というものがあり、

命が尽きて死んで、肉体は尽きても、

魂は永遠に生きていく。

反対に人魚は、300年という長い命を持つ代わりに、

死んだ場合は海の泡になってしまう、と、

教えます。

実はアンデルセンが生きた19世紀は、産業革命により、

それまでの封建社会が崩壊していきます。

それは自然科学や社会科学の理論に大きな変容が起き、

さらに原子物理学や、宇宙天文学などが大きく台頭し

唯物論や唯物史観などが、大きくそれまでのキリスト教社会を

揺るがしていきます。

そんな中で、アンデルセンも悩むのです。

果たしてキリスト教でいう永遠の命はあるのか、ないのか。

さらに神は存在するのか、しないのか。

人間は、その精神を

何に依拠して生きていけばいいのか・・・など等。

「人魚姫」を書いたのが32歳で、「雪の女王」は39歳。

このころのアンデルセンには、まだまだそれに対する答えが不明の中にいたと思います。

だからこそ、彼は書きながら考え、自らの課題としても

「永遠」とはということを課したのではないか、と私は思うのですが・・・。

実はそのことの結論らしきものはこの20年後の52歳の時に書いた小説

「生きるべきか、死ぬべきか」に書いています。

まあ、そのことも含めて、もう少し

童話を追いながらアンデルセンの心の軌跡を書いてみたいと

思います。

        つづく!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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