さあ~今日はアンデルセンの「赤い靴」のお話をしたいと
思います。
ここにも、みなさんには思いがけないアンデルセンの
「ちいさな愛の世界」があります。
「雪の女王」が聡明な女たちの愛の世界だとしたら、
「赤い靴」は報われない魂を救い上げる
アンデルセンの愛の世界でしょう。
実はアンデルセンには、父親の違う姉がいます。
ただその姉は、いわゆる婚外子であり、父親がだれだかわかりません。
ほんとにありのままを書きますと、
アンデルセンの母親は、どうもスラム街で売春をしていたふしがあるのです。
アンデルセンの母親の母親、つまりお婆さんは、
売春で3人の婚外子を産み、その罪で投獄されています。
そこには、貧しい人々の並々ならぬ現実があり、
アンデルセンの異父姉は、このお婆さんに預けられて育ちました。
アンデルセンの姉の名はカーレン・マリーといいます。
実はアンデルセンが作家として有名になり、
その地位が安定した37歳の時、
母親の娘、つまり異父姉カーレン・マリーから手紙がきます。
アンデルセンは震えあがります。
なぜなら、彼が封印していた子供時代の秘密であるカーレン・マリーが
やってきて、彼の地位や名誉を脅かす事態がおきることを
怖れたのです。
そこでアンデルセンは後援者であるヨナス・コリーンに助けをもとめます。
ヨナス・コリーンはさっそく治安判事のアドルフ・ドレウセンに頼んで
カーレン・マリーの居場所や、経歴を調べ、
カーレンの同棲相手を呼びだし、お金を与えます。
その後カーレンも会いにきて、やはりアンデルセンからお金をもらって帰りますが、
その時のカーレンは思ったより身なりもよく、外見は若々しかったと
アンデルセンは記しています。
カーレンは翌年もアンデルセンのホテルを訪ねてきて
お金をもらいますが、以後の消息は分からず、
1846年アンデルセン42歳の時に亡くなったらしく
アンデルセンはそれも知らされていなかったようです。
そして、その前の年の1845年にアンデルセンが書いたのが「赤い靴」です。
そして主人公の女の子の名前は、カーレンといいます。
カーレンは、お母さんのお葬式の日に、靴屋のおかみさんから
古ぼけた布で作った赤い靴をもらいます。
葬式に赤い靴をはくなんて、と非難をあびますが、
貧しいカーレンは靴を持っておらず、その靴を履くしかなかったのです。
しかしその靴はカーレンを引き取った年寄りの奥様に焼かれてしまいます。
その後カーレンは小さな王女さまが赤い靴を履いているのを見て
憧れます。そしてカーレンが成長して堅信礼を受けるとき、
新しい靴を買うことになり、靴屋で赤い靴を見つけたカーレンは
それを買ってしまいます。
ところが養ってくれている奥様は年よりなので靴が赤いことを分からず、
まさかカーレンがその靴を履いて堅信式にいくなどとは思いませんでした。
しかしカーレンはその靴を履いて堅信礼をうけ、周囲の人々の眼には
明らかに非難が浮かんでいます。
更にカーレンは聖餐式のときにも黒い靴ではなく、
赤い靴を履いていきます。
そしてそこからこの赤い靴の呪いの日々がはじまります。
カーレンは教会の入り口にいた年取った兵隊に呪いをかけら、
靴は勝手にダンスを始めてとまらなくなります。
また別の日には今度は靴が足から抜けなくなり、
踊り続ける中、首切り役人から靴ごと足を切られたしまいます。
そしてその代わりに義足と松葉づえを与えられました。
そんな中カーレンは教会で女中として働きます。
そして一生懸命働き、みんなカーレンが大好きになります。
或る日天使がカーレンを召し出しにきます。そして
讃美歌のオルガンと子供たちの合唱が響く中
神さまの光の中へと飛んでいきました。
そして最後の一行には
「そこでは(神のみもと)では誰もあの赤い靴のことをたずねる者は
いませんでした。」とアンデルセンは括っています。
この赤い靴の話を、ほとんどの解説者たちは、
養ってくれた奥様を裏切り、
教会の厳粛なミサの時に虚栄的な赤い靴をはいていったカーレンが
罰をあたえられ、靴が踊り続け、靴がぬげなくり、さらに両足を失ったが
最後には改心して、神のみもとに救われた、というような見解を書いていますが、
私はちょっと違う考えをもっています。
もともと
イエス・キリストは赤い靴を履いてミサに行ってはいけないなど、
一言も言っていませんし、
聖書にもかいてありません。
むしろイエスは祭壇を取り除き、儀式的に祈ることや
宗教の儀礼的な偽善を叱責しました。
逆に無心に赤子のように祈り、神と繋がれと説いています。
それにイエスは他者を裁いてはいけないとも、説いています。
またアンデルセンの父親も、
「キリストは私達と同じ人間だったのだ。
しかしなんと並外れた人間だったことか」と言い
「私たちの心の中以外に悪魔は存在しない」という
近代思想の持主でしたから、
迷信や古い因習にとらわれることを良しとしませんでした。
それはアンデルセンも
同じだと思います。
またアンデルセンが49歳の時に書いた
「生きるべきか、死ぬべきか」という小説では
近代科学や原子物理学にたいする知識や、
唯物史観にも通じているアンデルセンがいます。
そこでは、人間は死後肉体は化学分解して原子になり
自然界へと放出されていくのだ、という事まで
書いていますし、近代宇宙物理学や天文学にも通じていました。
どうやら、当時の哲学者<フォイエル・バッハ>の理論とキリスト教批判も
もしかしたら読んでいたかもしれません。
ただ、身体と脳の他に、魂があるの有無については、
結論をだしていません。
こういう外的状況を鑑みながら読んでみえと
おそらく「赤い靴」は、貧しいみなしごの女の子が
単に赤い靴にあこがれ、それを履く喜びに執心しただけのことが罰せられ、
と言う事を書いたとは思えません。
むしろ、いまだに、古いキリスト教の因習の中で罰せらることの不条理を書き、
本当は、神さまの世界では、 誰も、そんな事などいわないよ、と言っているのだと思います。
さらに自分の姉が生まれついた不幸や、母親の愛情薄かったその運命を痛み、
それに対して冷淡であった自分の償いとして、この作品を書いたのではないかと、思います。
実際のところ、コペンハーゲンのスラムに住む、
カーレン・マリーからの手紙を受け取ったとき
アンデルセンは「「O・T」に書いたとおりの状況になって
恐ろしい夜を過ごした」と暦に書いています。
「O・T」とはアンデルセンが31歳の時に書いた小説です。
その中で主人公O・Tは生まれながらにはぐれた自分の妹が
恐ろしく醜い心と姿になって主人公の前に現れるというところがあり、
O・Tは、震えあがり絶望するのですが、
しかしその妹と称する女は、本当は妹でもなんでもなく、
O・Tを陥れ、だました別人であったという話なのですが。
おそらくカーレン・マリーが突然現れた時、
アンデルセンも自分の小説の主人公のように
震えあがったのだと思います。
しかし、実際にカーレン・マリーに会い、
その同棲相手も人の好さそうな男であったことから、
安心したのではないかと思います。
そして確かにお金を無心されはしましたが、
むしろカーレンの宿命に対する同情や
優しい気持ちがうかんできたのではないでしょうか。
カーレン・マリーはアンデルセンが
「赤い靴」を書いた翌年に亡くなりました。
この物語もそうですが、アンデルセンの中には
いつも人間の苦悩に対する理解があります。
どうにもならない人生の苦悩を痛み、慈しみ、
人間は闇さえも
その存在は神の愛の中では
癒し、赦しされ、死後は神の恩寵の中に帰ってゆくという
アンデルセンの意志というか思想があるように思います。
貧しいみなしごのカーレンの赤い靴への執心も、
異父姉のカーレン・マリーのその行いも、丸ごと神様から愛され、
赦されているよ、というアンデルセンがいるのだと
思います。
次回は同じように「マッチ売りの少女」に託したアンデルセンの母への
追想について書いてみようと思います。
つづく!

光へ、光へと。
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