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そこには優しい時間が流れていた!

遠野ガラス絵館で、

児玉房子さんの絵を見た時、

茨木のり子さんの詩「どこかに美しい村はないか」が重なりました。

それは、人間が生きることの原風景として、

自然の恩恵の中、労働を終えた人間の満足と安らぎがあり、

優しい時間が流れておりました。

現代は,欲望が限りなく膨張していきます。

膨大な人工エネルギーが無ければ,生活できなくなりました。

その一方で,人間が幸福であるかについてはむしろ

文明の恩恵を受ける一方で

不安に脅かされ,

核を片手に脅迫する独裁者が現れ、

文明豊かなる生活の代償に,

人が殺されています。

このままいくと、

いつかきっと、今の文明が行き詰まり、反動が起きると思います。

本当は、私達は穏やかに,ささやかに生きたいのです。

あの穏やかな優しい時間を取り戻したいのです。

多分、私の脳は、その時のために、

遠野、児玉さんの絵、そして茨木さんの詩を、

映画にして撮っておきなさい、と、

内的衝動を、

私の中で衝き上げたのだと

思います。

能勢監督との奇跡的出会いの中、

それが可能と、なりました。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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