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なぜ遠野かというと。

児玉房子さんのガラス絵館があることは勿論ですが、

多分同じような田園風景は他の地方でも見られるかもしれません。

ただ、そうは言っても,長野や山梨では、ないし、

新潟や秋田でもないなぁ〜。

空気感が違うんですよ。

スッポリと手のひらに包み込んだように山々や田園や人家があり、

まるで幻想的な箱庭のような遠野。

その奥には早池峰神社や、六神石神社があり、

その神社には、

他のどこにもない自然の畏怖が漂って、

人間の魂が地界から湧いてくるような妖しさや、荘厳さがある。

その原始的な空気感が、

他とは次元が違うように思えました。

決定打は、軽妙に、飄々と生きるリンゴ栽培の佐々木悦雄さんと、

彼が紹介してくれた、

自然栽培の後継者でもある、菊池青年夫妻との出会いでした。

三人ともが清々しく,魅力的です。

更に私が最も嬉しかったのは、

田植えや、田の草取りをするばっちゃ達です。

私ね、自分では、何よりのフェミニストだという自意識があるんですけど、

このばっちゃ達こそ、

フェミニストの鏡だと思いました。

いろんな苦労を潜り抜けたばっちゃ達の、

空を抜けるような朗らかさこそ、

女の誇りだと、思いました。

勿論、人形作家の佐々木ヨシエさんも、お豆腐作りの新里栄子さんもです。

人間の尊厳は、

確かに生き抜いてゆくことにあると思います。

確かに、生き抜いてゆく、そう思えば思うほど、

果たして未来は、この存在の重さを持って、

人間が生きることができるのだろうか、と思います。

もしかしたら人間は、文明が進めば進むほど

存在が紙のようになってしまうかもしれないとも思います。

出演してくださった方々のこの人生の重さこそ、

そこに人間が人間たることのかけがえのなさを見ます。

若き日に読んだ茨木のり子の詩。

児玉房子さんのガラス絵。

そして佐々木悦雄さんや菊池青年夫妻との出会い。

最後には、音楽のR akiraさんとの出会い。

今思うと、何から何までがまるで

神が用意してくれていたように思います。

そして親友の能勢監督と篠田カメラマンが、

一冊の映像の絵本として、

美しい映画に仕上げてくれました。

またもや、

すべての出会い(点)が、見事に一本の線になりました。

私が本当にこれからの時代の人々に残し、伝えたかったことが

具現化されました。

もう何も言うことはありません。

ひたすら、感謝です。

写真は児玉房子さんのガラス絵です。
タイトルは分かりません。
多分,行商の若い女性を描いたのではないかと、思います。
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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