答えは、感情の昂りではなく、
感覚、感性と知性で見てもらいたいから、です。
観客はストーリーの方に気を取られていきます。
この映画の主目的は、
自然と協働して生きる人々の
人間讃歌です。
その美しさと大切さの映像を、
しっかりと無意識の記憶に刻んでいただけたら嬉しいです。
感動すると、感情が昂り興奮して、映画の内容を消費していきます。
つまり、
感情的に興奮して満たされたことは
いつの間か、忘れ去られていきます。
脳は基本的には、喜びや興奮したことは薄れていきます。
反対に傷ついた事や、不消化のことは、なかなか忘れません…苦笑!
脳はまさに危機管理の器ですからね。
映画「どこかに美しい村はないか」は、
感動でも,不消化でもなく、
皆さんの素直で素朴な感性を通して
ボーツと見て欲しいのです(笑)
見てくださった方々の感性と認識が新たになるというか、深くなるとでも言いましょうか。
あゝ美しい風景だな〜。
美しい人達だな〜。
美しい出来事だったな。
こんなこともあるのだなぁ〜と。
と、頭の中に映像が、
絵のように記憶されていくことです。
だからインタビューも、最小限にしています。
極論をいうとね、
映画の事は忘れても…苦笑!
映像は記憶に残っていきます。
映画の名前は忘れても、
遠野は美しいなぁ,という記憶は残っていきます。
ガラス絵館の印象や、
夜の空の星座や,その伝承や
そこで生きる人々の姿は、
映像が美しければ美しいほど、
見た人の無意識の記憶に記述されていくと、
思います。
ドキュメンタリー映画の本領は、
記録です。
能勢監督も、その事を熟知しておられると思います。
だからこそ、
ご自分の自我や自己顕示を極力抑制し、
淡々と映像を重ねているのだと
思います。
能勢監督は三代続く映像カメラマンの家だし、
篠田カメラマンは、業界一の超ベテランカメラマンですから
そりぁ,映像の威力を知り尽くしています。
そういうことです。

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