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仮説、時代は逆転していく!

能勢監督から送られてきたラインによると、

<山がら文庫>で皆さんで夕食を食べながら、

遠野の観光について話が盛り上がっているようでした!

それで私も考えてみました⁉︎

   ○ ○ ○

遠野の人に叱られるかもしれませんが、

私は遠野はそのままでいいと思っています。

なぜなら、

遠野は他とは次元が違う地域のように思うからです。

その保守性や,時代に消費されなかった伝統や風土が、

これからの時代は、

武器になると思います。

以下は根拠がある訳ではなく、

私の独断が直感していることであり、

ひとつの仮説てして

おもしろがって読んでください。

前回書いたように、

他の地方に比べ,遠野に流れている空気や時間が違うのです。

そして,

私の根拠のない直感では…笑、

これからの時代,都市と地方が逆転していく。

これから都会は益々個々の分断化が進み、人間がギスギスし、

都会の人間の精神が砂漠化していくでしょう。

その反動として、

余りにも、自然から疎外された人間達の中から、

自然回帰への志向が起きてくる。

それはリモート的ワークとか、地方移住とかというレベルのものもありますが、

しかしもっと根底からの

伝統への回帰と、

⭕️ 第一産業への原点回帰です。 

それがいわゆる、手直し的回帰ではなく、

勿論,そういう人々もたくさんいると思いますが、

そういう中途半端なものではなく、

徹底的な自然と伝統への、

原点回帰です。

例えば、

佐々木悦雄さんや菊池陽佑夫妻のような、

自然栽培農業の原点回帰であったり、

田之畑の吉塚公雄さんの山地酪農であったり、

有機農業も、またその他の

さまざまな第一産業の中での、

原点回帰が起きてくるでしょう。

ただ、数は圧倒的に少ないでしょうが。

医療や工業は益々高度テクノロジー化していくかもしれませんが、

自然との関係がもう極限化している第一産業は、

科学テクノロジー的に先鋭化して行く流れと,

アナログ的自然への原点回帰へ向かう流れとに、

二極化するかもしれません。

そして圧倒的少数ですが、

アナログ的自然回帰への

種蒔きをした人々が、

もうすでにいます。

全国にわたっておられますが、

遠野にも、たくさんいるでしょう❗️

観光という水ものに依存するのではなく、

しっかりとした 

⭕️産業を起こすのです。

    ○ ○ ○

これからの資本主義社会の現実に、

どういうヒビが入り、割れていくか?

ヒビが入り割れることは確かでしょう。

その時、

⭕️人間の関係性が、

ズタボロにキレている都会は.

どんどんエントロピーの法則で解体して行くでしょう。

反対に、

人々が繋がりをもつ地方には、

パワーが残っており、希望が残ります。

つまり、次の時代は、

ものや情報を売るのではなく、

希望を作り出せる所、人々、産業にこそ、

経済性が産まれる、と私は考えています。

希望とは、蜃気楼みたいに実体のないものではなく

●人間の力で作り出せる確かなものです。

自然との協働とに於いて、確かに作り出せるもの、です。

   ○ ○ ○

資本主義の経済優先の政治が終わり、

いわばさまよい状態になった社会と人々の精神に、

希望が湧くという価値を、生み出せるには、

どうしたらいいか。

何が必要か。

その資本は何か。

その資本こそが、

過去からの繋がりの中で、

蓄えられたものや,人間力であり、

伝統の蓄積であり、

人間の経験と知識の積み重ねであり、

A Iのデータベースの埒外にある不合理なものだと、

私は考えます。

時代の流れに飲み込まれず、

古さを捨てなかったり、

つまり、

資本主義経済に、骨までむしゃぶりとられて、消費されることが

⭕️なかったところにこそ、

価値が生まれると、

私は考えています。

遠野は全部それを持っているでしょ。

だから、そのまま,踏ん張って、

次の時代まで、

もこたえてほしい。

以上、根拠のない私の直感です!

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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