大江健三郎さんが逝かれましたね。
なんだか氏の魂が昇華してしまい、
大きな空洞が空いてしまったような喪失が,私にはあります。
最初に読んだのは「われらの時代」です。
期待して読んだのに,なんだかよく理解できませんでした。大学生の時です。
次に読んだのが「万延元年のフットボール」
これも,途中放棄。
ただ,この時、小説のストーリーより、書かれている言葉の奥に、
言葉にはならない、
或いは、なかなか言葉として表出できないそれを、
暗闇の中にサーチライトを向けて、
大江さんが、
もがきながら探しているな〜と、なんとなく思いました。
深く厚く立ちこめた鉛のような雲の奥にある何か、です。
それ以来,氏の本は、
読むのを諦めていましたが、
子供を育て終え、私自身も中年に差し掛かる頃「人生の親戚」を読みました。
よく解りましたよ。
主人公が女性であり、
更に、母親として耐え難い絶望と悲しみの中を、
必死にもがき生きるその人生を大江さんが見ている。
心を揺すぶられました。そして
あゝ大江さんも答えをみつけたんだと思いました。
もがき苦しみ生きる人間の中にある、微かな神性。
微かで、
あるのかないのかわからないその一筋の神性の光。
もしかしたら、それを魂とよぶのか、呼ばないのか。
または、それはあるのか、ないのか分からないが、
そんなものを探しておられた気がする。
いつの間にか、
私は日本の小説を読まなくなりました。
通俗的なものは、もういい、と思ったからです。
ただ日本の文学の中で唯一,
訥々として途切れがちな大江健三郎のその言葉、
考え抜かれたそれは、
珠玉であると思っています。
ご冥福を,祈ります。
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