ハンス・クリスチャン・アンデルセンの母親は
アンネ・マリーと言います。
可愛いらしい名前でしょ。
ただアンネ・マリーも父親が不明の婚外子です。
彼女の母親セーレン・スダターについては、
以前にも書きましたが、身持ちが悪く売春で日々をひさぎ、
アンネ・マリーに物乞いをさせ、稼ぎがない場合は、家からおいだし、
アンネマリーは橋の下で泣いていたといいます。
また、アンネ・マリーの妹はコペンハーゲンで売種宿を営んでいましたが、
アンネ・マリーはこの妹とは仲が悪く、
アンネマリーはかろうじで、この一家の悪癖から逃れたと思われます。
アンネは奉公へ出てその後、
年下の靴職人であるアンデルセンの父、ハンス・アンデルセンと結婚しました。
ただ、アンネはハンスと結婚する前にローゼンヴィゲという既婚の男の
婚外子カーレン・マリーを生んでおり、
カーレンはアンネ・マリーの母親に引き取られました。
だからこそ、アンデルセンは、
無学で身持ちのわるい祖母にそだてられたカーレンを
怖れたのです。
アンネマリーは、全く無学で、自分の名前すらかけなかったようですし、
迷信を信じ、自分の夫が危篤の時にも医者ではなく、
祈祷師を呼んでしまいました。
ただ、反対にアンデルセンの父親は貧乏ではありましたが、向学心に燃え、
沢山の本を読み、かなりの知性を磨いていたと思います。
アンデルセンが6歳の時、オーデンセの空に彗星が顕れました。
オーゼンセの人々もアンネ・マリーも、これは災いの印であり、
彗星が落ちて家も人も焼き殺されると信じて震えあがりました。
その時ハンス・アンデルセンは
「恐れることはない、彗星は太陽のまわりを廻っていて。
地球におちてくることなど、絶対にない。」と
アンデルセンに教えました。
アンネ・マリーはたしかに無学で無知でもありましたが、
しかし働きものでもあり、きれい好きで、
いつもリネンやカーテンは洗いたてで清潔なものであったという事です。
私はこの、アンデルセンのお母さんが大好きです。
アンデルセン一家のためには、郊外へでかけて物乞いし、
食べ物を持ち帰ってきたときもあったようですし、
いつも体当たりで生きる彼女の逞しさに脱帽します。
しかし、アンデルセンの父親が亡くなるとその1年後には
20歳年下の靴職人ギュンターセンと再婚します。
まあこういうところも、このお母さんの逞しさだと思うのですが・・・。
どうも再婚してからは、
アンネ・マリーもアンデルセンには、
よそよそしく冷淡になり、
厄介者のような扱いであったようです。
まあ、新ししい夫への忖度で、その心をつなぎとめようとしたのだと
おもいますが。
アンデルセンのコペンハーゲン行きは、母親アンネマリーとの決別だったかもしれません。
それからのアンデルセンは、もう母親のことなど忘れたかのようでありました。
一方、ギュンターセンが亡くなった後、アンネ・マリーは極貧におちいり、
さらにアルコール依存症になってしまいます。
そして慈善病院に入ったアンネマリーから
「私は靴下と下着に不自由しています。できればお金を送ってください。
靴下と下着を一枚買いたいのです」と、
代理人が書いた手紙をうけとります。
しかしその手紙を受けとったアンデルセンは、
逃げるように外国旅行に出かけてしまいます。
結局、アンネマリーは、最愛の息子に会うこともなく、亡くなってしまい、
アンデルセンは、その訃報をローマで、ヨナス・コリーンから受け取ります。
母の訃報の手紙を受け取った10日後にアンデルセンは小説
「即興詩人」を書き始めますが、
この小説には、楽しいかった子供の頃のアンデルセンと
お母さんの姿が描かれています。
素敵な花模様の服を着た陽気で楽しいアンデルセンのお母さんです。
そして書き始めた次の日に、ホテルの窓の下を行く
60人の哀悼者がつらなる行列をスケッチしています。
アンデルセンを溺愛したアンネ・マリーとアンデルセンの間に
何があったかわかりません。
しかしそんなことは、誰でも、どこにでもある
人間の脆弱さでもあり、親子の葛藤であり、
またそれが整理されるまでには時間が掛ります。
母親の死から15年を経て、アンデルセンの中に
母親の人生を悼み、労い、感謝するときが来たのでしょう。
43歳の時に「ある母親の物語」と「マッチ売りの少女」を書きあげました。
母親の愛がどんなに深いかを「ある母親の物語」に。
そして決して幸福ではなかったが、いつもけなげな心で懸命に生きた
アンネ・マリーの少女の姿を託して「マッチ売りの少女」を。
次に52歳になり、自分の人生の総集編ともいうべき「生きるべきか、死ぬべきか」を書き、
同時に「あの女はろくでなし」という童話を書きました。
「あの女はろくでなし」とは、
冬の寒い川に入り、洗濯をするお母さんは、
その気つけとしてアンデルセンに温かいビールを運ばせては、それを飲んで
また洗濯を続けました。
そういう風に、
一家のために体を張って働き続けるお母さんの姿を、通りがかりの人が
昼間から酒を飲んで、なんてあの女はろくでなしか、と揶揄しました。
そうではない、僕のお母さんは、こんなに素敵なひとだったんだ、という思いを込めて
子の童話をアンデルセンは書いたと思います。
人間の美しい姿とは何なのでしょうか。
そしてもっとも根源的な人間の価値とは、
どこにあるのでしょう
私はこのお母さんの人生を賛歌し、
乾杯します。
なんて素敵なお母さんでしょうか!
次回はアンデルセンの童話の根底に流れたいた
アンデルセンイズムについて
書き、終わりにしたいと思います。

朝の光がいっぱい!
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