脳は自らが正義や道徳倫理や正論の答えなどを有している訳ではありません。
脳は外界に反応しながら、適応をさがし
私は脳は、その生命体を維持し、保全するセキュリティシステムであると考えます。
人間のセキュリティシステムとして、
文明や文化を作りだしたのだと考えています。
冒頭で書いたように、脳の中にはじめから正義や倫理観や正論があるわけではなく、
脳は外界に反応して、
良き心地を得た事には、それを強化しようとします。
極論をいうと悪いことをしても、そのとき心地良く、快感が走ると、
脳はそれがその生命体には必要であると判断してしまいます。
そして同じような事が続くと脳は、
それがその人間の生命維持に必要な事と勘違いし、それを強化していきます。
つまり悪いことで得た快感は、何度も同じような快感を得ると、その悪い事がその人の中で常態化してしまいます。
例えば嘘をつく事に快感を得た人間が嘘つきの常習になるようにです。
怖いね〜!
その反対の事も言えます。
良い事をして快感を得た人は、そこに満足感や充足を得て、そう言う風に生きようとします。
ただ、それも行き過ぎると逆に、
いい人から降りれなくなり、本人が息苦しくなるという事も、起きてきます。
悲しみもね、自己憐憫が快感になると常習化して、癖になりますよ。
つまり脳は、常に外界に反応しながら、
その人の反応体系=人格を作り出し、
その人の生き方を作り出していると、言う事です。
言い換えれば、その人間の人生の文化と秩序を作りだしている、という事です。
原始的な脳から、長い長い年月をかけて、そういう風に脳が人間の文化や規範を作り出しては、
遺伝子によってそれを子孫に伝えて、
人間が生き延びて来たと言う事です。
そういう風に人間が獲得して来た遺伝子の中に、
高邁な思想や行動に感動するという部位もあるという事です。
このブログでも、何度も書きましたが脳は古い動物の名残りである、本能的欲望と感情の大脳旧皮質と、
それを包み込むようにして発達した、
いわゆる人間の脳と言われる理性を司る大脳新皮質の前頭葉があります。
この二つの脳が、外界に反応しては、その人の心理である心模様を作り出していきます。
問題は旧皮質の、本能的欲望や感情の方が、
新皮質の理性より圧倒的に強い事です。
中でも厄介なのが、他者を否定し、自己を顕示する支配欲や、
所有欲や征服欲、独占欲などで、
人間関係の揉め事の根底には、この感情が潜んでいます。
またこの欲望や感情に取り憑かれた人間が政治の世界に入り込むと独裁者になります。
いわばプーチン氏など、その典型として、もう、見事なモンです。
そういう自分自身を自制してゆくには、シリーズ1で書いたように
自分の意識をしっかり磨き、
その一方で、ネガティブな欲望の手綱をしっかり握っていないと、
人間はやすやすとネガティブな欲望と感情に、乗っ取られてしまいます。
人間はネガティブな欲望や感情の方が強い電流が流れ
時としてそれに快感を感じてしまうのです。
なぜなら、もともと人間は動物であり、
その脳には、自分以外の人間(動物)に対する否定的感情や、
支配感情などの攻撃性が内蔵されているからです。
オルテガは、自由と平等のデモクラシーを獲得しても尚争いが耐えず、
強いもの隷従したり、反対に集団でファシズムに走る事を、
大衆の属性として分析しましたが、
私は、それは脳の動物的な原理と属性だと思います。
つまり、私達は自分の脳の属性を克服しない限り、
デモクラシーは、絵に描いた餅の理念でしかなくなるのです。
そんな中でも日本人は、他国への侵略をしようとする事がない事はないですが、それでも極少の国です。
本当は他国の人達から見れば、羨ましいくらい穏やかな国民です。
しかし、残念ながら日本と日本人は、この間の経済優先の文化の中で、
ウカウカと、
日本人より動物的肉食性が強いグロローバル文化の中に入ってしまいました…トホホ!
そしてIT文化の中では、
どんどん日本社会が液状化しています。
果たして私達は、どうしたらいいのでしょうか。
次回はオルテガが書いている、
大衆の属性として、
「自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、」
と言う事が、
なぜ起きるのかを
書きます。
つづく。

コメント