これから、旧い時代がどんどん終わってゆきます。
ただ,過去の時代が消えるかというと、そうではないのです。
過去を消化しながら続いてますから。
課題は、
過去の歴史や文化をいかに新しい時代へと昇華させていくかだと考えます。
その一つとしてまずは、
脳と宗教をどのように止揚するかについて書きます。
◯
始めに断っておきますが、
脳自身が正義観や倫理観を持っているわけではありません。
わかりやすく言えば、
脳の中のソフトウェアが、長い人類史の中で、正義や倫理を獲得してきたのです。
人類が、格闘、葛藤しながら、
生き延びて行く為に、
正義や倫理に反応する理性体(前頭葉)の部位を獲得してきたのです。
そして宗教も、その獲得した理性体を駆使して人間が考えだしました。
人間を導く理念として,或いは人生の手引書として、
先人達が、模索、格闘しながら,考え作り出した創作です。
なぜ宗教が生まれたのかは、
人間が小さくて、脆弱な存在だからです。
極端に言うと、
自然の前では、人間も虫や他の動物達と同じなのです。
つまりは人間も自然と言う大きな循環体系の中の、
小さなひとつの存在に過ぎない。
しかし人間は大胆にもその自然を超えようとしました。
また、自然を自分達の為にコントロールしょうとしました。
その時、人間の弱さ小ささをカバーし、
果てには自然さえも越える大きな存在として、
「神」を考えだしたのです。
キリスト教はまさに人間も自然をも支配する唯一神として神が絶対化されました。
原始仏教の場合は、
あくまでも現象論としてありましたが、
その後俗世間の救済の要望に応えるべく、
さまざまにファンタジー化されて、
神秘性を持った大乗仏教に書き換えられていきました。
日本の神道の場合は、稲作を基本に地方豪族を天皇で止揚してゆく物語としてあり、
キリスト教とも,仏教とも違うテイストですが、
ご存知のとおり,聖徳太子によって日本の仏教化がおき、
何とも絶妙に天皇制と止揚していきます…すごいね!
ここら辺が,島国日本の、絶妙に外国文化を自国風にアレンジしていく能力の高さ⁈なんですけど…。
これも、いうなれば日本人の脳の能力の高さです…笑!
話を戻しますが。
つまり宗教は、自然を超えようとする人間が、
その限界を超越する為の秘策として
考えだしたものです。
まだ脳のことが全くわからない中、
人間が自分の中に起きる不可思議な現象や、
周辺に起きる自分達では説明がつかないことに、説明をつけ、
高次元で止揚しようとしたものだと思います。
そしてキリスト教も,仏教も、その根源に流れるのは、
互いに争い潰し合う愚かな人間の、
救済です。
そこにあるのは人間を超越する
大いなる存在として、
小さくて弱い人間の苦しみや悩みを
大きな力で包み込み、救い、超えさせる為の世界だと私は思います。
ただ人間も、宗教に依存するのではなく,反対に厳しく自分を見つめる為に、
宗教がもつ俯瞰的で客観的な「大いなるもの」の視点から
自分と向き合う。
これがこれからの人間が克服しなければならない課題です。
人間なんてほんとにちっぽけですから。
自分の自我を客観的に見て、
自己を修正し,成熟させていく課題です。
そしてこれからは脳と科学の時代にはいりますが、
神に代わって科学が万能してくるかもしれません。
しかし科学は神にはなりえません。
大事なことは、
人間が(自分達が)
いかに限界を持つ,小さな
弱い存在であるかを、忘れないことです。
そして悩み苦しむ時は祈りの力を借りる。
神や仏に祈ること。
なぜなら、
人間が神や仏様を考え出したのですから、
人間の脳の中(無意識)のうちには
自我意識を超越してくれる神や仏さまが、
いるはずなのです
それこそが、
脳のチカラ,
すなわち本領だと、私は思います。
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