埒とは、柵や仕切りや囲いを意味する漢字です。
柵や囲いの外にある、という事です。
目から鱗を落としていただく為に、
結論から言います。
人間の独創性はまさにAIの埒外にあるのです。
わかりやすく言うと。
AIは膨大なデータとそこから割り出す数値の世界です。
それは脳機能のひとつの特徴の外在化でもあります。
データの量や数値からある普遍性を
割り出していきます。
ところが脳にはもう一つ凄いというか、素晴らしい機能が有ります。
それは、データ量や数値では量りえない脳の技とでもいう脳の振る舞いです。
私達が溜め込んだ混沌とするたくさんのデータの中から、まるで
ブレーンストーミングのように、
ジャンピングし、
脳中のデータを総動員して駆け回り、
定型の想定の埒外に組み合わせたりして、
独創的な答えや世界を割りだす、
或いは創り出す、
もしくは、発見する、という振る舞い(機能)です。
それは普遍性というより、
私達個人個人の脳と身体の
固有の反応体験や経験などで
固有に化学変化して現れてくる事象です。
◯
ちょっと難しい話ですが、
皆さんも自分の頭の中をサーチしながら、
読んでください。
私達の中には、主観的な自分と、
客観的な自分と、
もう一人、
自分では意識できない、
なにやら主観と客観を超えた、
つまり。
自分が承知している意識を超えたところから降ってくる、
認識や発見の知能(知性)があります。
つまり脳が勝手に作動し、
脳内のデータや体験をシャッフルしては、
まるで天から降ってきたように、
答えを落としてくる、という現象です。
例えば,
昨日みた朝ドラでは、
作曲家の羽鳥先生が、電車のレールの音をききながら、
ハッと東京ブギウギのメロディを思いついたように。
ヒラメキや直感やそういうものを創り出す、
脳の機能です。
理学博士の郡司ペギオ幸夫さんによると,
私たちの脳の中にある、
一人称的(主観的)知性、
三人称的(客観的)知性の他にある、
一・五人称的知性というものです。
自分が知覚している記憶の埒外にあるもの、
明瞭に知覚出来ないが、
なんだか脳が勝手にシャッフルしながら、
結論やアイディアを出して、
意識に下ろしくる、という現象です。
それは極めて個人的な世界の中から
ある種の普遍性を抽出してくるものです。
つまり私達は個々でありながら、
しかし一方では、
普遍的な世界と繋がっている。
その普遍性は、
・人間というカテゴリーの中で、
また、
・自然の中に生きる「いきもの」としてのカテゴリーのなかで、
更には、
・地球という特殊な星にあって棲息、進化したものとして、
存在する中にある、
普遍性です。
この第三の一・五の私こそ、
デジタルではなく、
私達の脳の混沌とした、
アナログ世界に住む一・五の私ではないか、と
私は考えています。
おそらくそれは
・デジタルの次に解明されてゆく脳と身体が創り出す、
人間世界だと思っています。
それは、デジタル的繋がりではない、
混沌かつ,雑然とした人間集団のなかで、
互いに影響しあい、
刺激しあい、響き合い、
磨き合い、
そして、
力を合わせて、賢くなっていく中で
進化したものだと考えられます。
◯
その人間の原風景を謳ったのが、
茨木のり子さんの詩
「どこかに美しい村はないか」です。
長くなりましたね。
次回は、そのことをもっと詳しく書きます。
つづく。
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