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一条の光のような映画を作りたかった その3,資本主義社会やAIの埒外に、人間の世界がある!

埒とは、柵や仕切りや囲いを意味する漢字です。

だから埒外とは、

柵や囲いの外にある、という事です。

目から鱗を落としていただく為に、

結論から言います。

人間の独創性はまさにAIの埒外にあるのです。

わかりやすく言うと。

AIは膨大なデータとそこから割り出す数値の世界です。

それは脳機能のひとつの特徴の外在化でもあります。

データの量や数値からある普遍性を

割り出していきます。

ところが脳にはもう一つ凄いというか、素晴らしい機能が有ります。

それは、データ量や数値では量りえない脳の技とでもいう脳の振る舞いです。

私達が溜め込んだ混沌とするたくさんのデータの中から、まるで

????ブレーンストーミングのように、

ジャンピングし、

脳中のデータを総動員して駆け回り、

定型の想定の埒外に組み合わせたりして、

独創的な答えや世界を割りだす、

或いは創り出す、

もしくは、発見する、という振る舞い(機能)です。

それは普遍性というより、

私達個人個人の脳と身体の

⭕️固有の反応体験や経験などで 

⭕️固有に化学変化して現れてくる事象です。

     ◯

ちょっと難しい話ですが、

皆さんも自分の頭の中をサーチしながら、

読んでください。

私達の中には、主観的な自分と、

客観的な自分と、

もう一人、

自分では意識できない、

なにやら主観と客観を超えた、

つまり。

自分が承知している意識を超えたところから降ってくる、

認識や発見の知能(知性)があります。

つまり脳が勝手に作動し、

脳内のデータや体験をシャッフルしては、

まるで天から降ってきたように、

答えを落としてくる、という現象です。

例えば,

昨日みた朝ドラでは、

作曲家の羽鳥先生が、電車のレールの音をききながら、

ハッと東京ブギウギのメロディを思いついたように。

ヒラメキや直感やそういうものを創り出す、

脳の機能です。

理学博士の郡司ペギオ幸夫さんによると,

私たちの脳の中にある、

一人称的(主観的)知性、

三人称的(客観的)知性の他にある、

????一・五人称的知性というものです。

自分が知覚している記憶の埒外にあるもの、

明瞭に知覚出来ないが、

なんだか脳が勝手にシャッフルしながら、

結論やアイディアを出して、

意識に下ろしくる、という現象です。

それは極めて個人的な世界の中から

ある種の普遍性を抽出してくるものです。

つまり私達は個々でありながら、

しかし一方では、

普遍的な世界と繋がっている。

その普遍性は、

・人間というカテゴリーの中で、 

また、

・自然の中に生きる「いきもの」としてのカテゴリーのなかで、

更には、

・地球という特殊な星にあって棲息、進化したものとして、

存在する中にある、

普遍性です。

この第三の一・五の私こそ、

デジタルではなく、

私達の脳の混沌とした、

アナログ世界に住む一・五の私ではないか、と

私は考えています。

おそらくそれは

・デジタルの次に解明されてゆく脳と身体が創り出す、

人間世界だと思っています。

それは、デジタル的繋がりではない、

混沌かつ,雑然とした人間集団のなかで、

互いに影響しあい、

刺激しあい、響き合い、

磨き合い、

そして、

力を合わせて、賢くなっていく中で

進化したものだと考えられます。

      ◯

その人間の原風景を謳ったのが、

茨木のり子さんの詩

「どこかに美しい村はないか」です。

長くなりましたね。

次回は、そのことをもっと詳しく書きます。

       つづく。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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