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一条の光のような映画を作りたかった。 その4、どこかに美しい人と人の力はないか!

私達の脳の中にある一・五の<天然知能>の私こそ、

人間が人間たる本領であり、

養老孟司氏がいう、AI化されない人間です。

AI化社会が進行するにつれ、人間がAI化して行く。

つまり人間の脳の思考のデジタル化が進む、ということです。

それはより単純な思考になり、

ものごとを深く考えることや、

複雑に錯綜したものを思索できない、

人間のロボット化でもあります。

AIが私達の生活の中に入り込み、

それが進むに比例して、

人間と人間の生々しい感情の触れ合いや、

身体の五感からの情報や触感もが

奪われかねない。

人と人とが遠くなり、

ともに力を合わせ心を合わせて働くことも少なくなり、

ますます人工化した中で生きることになりそうです。

      ◯

いよいよAI(人工知能)が現実化するとなった時、

私は人間が大変な事になると危機感を持ちました。

一点は、身体を使うことや頭(脳)を使うことをAIが代理することで、

人間の知能が劣化する危機。

二点目は、

人間が集団で働く事がAIに代理される事で、

人間の関係性によって培われる意識や文化が劣化する危機です。

遠野のガラス絵館で、

児玉房子さんの描かれた、

人々がらさまざまに働く姿を見て、

考えました。

畑で田んぼで、町で工場で、商店で働く人々の姿。

その労働は、辛い時も厄介な事もあるかも知れないが、

人間は他者と触れ合い、話し、協働する中でこそ、

知能が働き知性が熟していく。

もしかしたらそれが奪われてしまうかも知れないと、思いました。

そしてずっと茨木さんの詩が頭に浮かび、能勢さんにお願いし、

映画を作りました。

 六月   茨木のり子

どこかに美しい村はないか

一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒

鍬を立てかけ 籠を置き

男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか

食べられる実をつけた街路樹が

どこまでも続き すみれいろした夕暮は

若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか

同じ時代をともに生きる

したしさとおかしさとそうして怒りが

鋭い力となって たちあらわれる

この最後の、

「怒りが鋭い力となって、たちあらわれる」

という行がとても大切なのです。

この行は、あまり理解されないかも知れないが、

とても大切であり、次回その事を書きます。

       つづく。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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