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エッセイその23、人生は自分にしがみつくほどのことではない。

最近の私は自分でも哲学者かと思う。

つまりそう思うくらい、何時間もソファに座り続けて考え続ける(笑)

何を考えるかというと、人間とは何か、生きることは何か,について考え続けているのである。

そんなことばかり考え続けて何になるのか、と言われそうだが、

しかし、この歳になって私が社会に貢献できるとしたら、

これからの時代を担ってゆく若い人達に、人間について、社会について、生きることについての、

確信とまではいかなくとも、 

なんらかの答えを書くことだと考えているからだ。

死についてはもう結論がでている。

死とは、いっさいがっさいの私が無くなり消えるということであり、

それでいいと私は思っている。

いいというより、自分が消えるということは、穴があったら入りたい過去の自分も、

いまだに自我に振り回される嫌な自分も消えるということで、

むしろサバサバする。

反対に困っているのが、

人間としてどう生きたら私は私なりの合格点に辿りつけるかということである。

こっちの方が難問である。

だが反面、

どう生きても消えるのだから

そんなに考えこむ必要はないと、

小狡い考えもうかぶ(笑)

がしかし、やっぱり、

ぼーッといきてるより、

少しだけでも世の中に役に立とうとする方が

生きていて楽しい。

では、私になにができるかというと

ただ無駄に生きて来たわけではない私にも、積み上げた経験の知恵があり、

どうせなら、そっちに行くとほろびるよ、とか、

こう生きると、なんとかなるよ、

ぐらいのささやかさで役に立ちたいのである。

心理のことを勉強したのも、脳のことを片っ端から調べ上げたのも、

なんとか人間とはを、

突き止めたい思いからである。

それらの細かいことは、

おいおい書いていくとして、まず言いたいのは、

人間は、

生きている時だけが、

苦しいのである。

つまり、生きている時だけ自分の自我にしがみつくからね。

脳はそういうふうになっているし、それは生命現象でもある。

そうして実は、

ここからが考察力の発揮どころですぞ!

つまり考えてみると、

死んだら一切が消える。

そして自分が生きたその時間と内容は、

自分しか知らない。 

自分しか、

自分のほんとうのことを知らない。

そして自分の自我にしがみつけばつくほど、生きるのはしんどい。  

そうなると結論は、

な〜んかバカらしい!

自我にしがみつくことなんか、

な〜んかアホくさ!

    ◯

生きることは本当にしんどい。

でも生きているから生き続けなきゃならない。

でも、

そんなに苦しみなさんな。

自我の誇りも意地も、さっさと相手にくれてやりなさい。

この相手というのが、誰かわからないけど、言葉として浮かんできた…笑。

多分他人と葛藤するなということかな〜。

人生はあっという間に過ぎてしまう。

苦しんで,自分にしがみつくほどのことじゃないかも知れないよ。

どんな人生も孤高であるとふりきって、

自分をねぎらってあげたらいいと思います。

他人は関係ない。

とにかく

自分を生き切って,おしまいです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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