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イスラエル,イラン戦争は宗教が終焉していく時代の始まり、その2

これは世界史的に世界を見渡した私の見解と願いである。

世界史的に見ると、

イスラエルとイランの戦争は、

現実的な地政学的利益争いでもあると同時に、  

どうしても相容れない宗教の戦争であることは,

ご存知の通りです。

しかしそれを客観的に見ている人々にとって、

この争いは絶望的な不毛の争いであり、

しかも世界戦争の危機を孕んだ争いでもある。

そして一方現代科学下においては

宗教の非科学性が最早明らかになりつつある。

もしかするとこれからは、

A Iが宗教をも作り出すかもしれませんよ。

なぜなら宗教も人間が創造した言葉による幻想世界であるからです。

そして現代は、

古代宗教の意識と言葉で語ってきた世界が、 

科学の前に衰退する時代へと入りつつあるが、

時代の先端には火星移住をも視野にいれた科学技術があり、

しかし一方民間社会の末端では、

まるで19世紀の意識のままの宗教やオカルト意識もいまだに根強残っている。

また

共産圏のマルクス主義だって、

100年以上前の思想なのですからね。

しかしいずれそれらがひっくり返される、

大きな大きな過渡期が来ているように思います。

なのに、

イランもイスラエルも、その古い宗教ドグマから脱却できず、殺戮しあっている。

彼らは互いは殺し合いを続け、

ゆきつくところまでゆかなければ自分達の宗教を終結できないのか。

救い難い意識の低さだ。

本当はジワリジワリと宗教の終焉が始まっている。

そしてその後には、

どういう世界が始まるのだろうか。

が。しかし私はひとつの希望を持っている。

ただそれはほとんど不可能に近い夢として私は希求するのであるが。

      ◯

そもそも、宗教の大きなテーマのひとつは 

⭕️民の救済であったはずなんです。

A I社会が進めば進むほど、

人間の心の荒廃が進むと私は考えている。

何をいしずえに生きたらいいかわからなくなる時代がくるのではないか、と予想している。

その時もしかしたら宗教の最もコアな世界である、例えば

キリスト教ならイエスの愛の世界や、

イスラム教ならマホメットの愛の世界、

仏教ならおおいなる観世音菩薩の慈悲の世界が、

⭕️人種,民族、国家を、超越した

新しい貌をしめしながら,

科学テクノロジーの時代に見合った

新しい生き方の手引き書として、

再生される事である。

いわゆる預言者の呪詛的要素を捨ててかつ、

戦うのではなく、

和解し,共存していく為の

美しい言葉として、

蘇って欲しいと、

私は願うのだが。 

我が家の新緑の木々です。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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