言葉は私達の分身であり、
言葉はその息遣いや発声音の大小,高低や、ちょっとしたニュアンスで、
微妙に表情を変える、生きものです。
私達の顔と同じように、
私達を表すディスプレイでもあるのです。
だから疎かにしてはならない。
昨日例に出した言葉は、
言葉を単なる自分をカムフラージュする道具として扱っている為、
言葉が死んでいるのですね。
言葉が生きものだからこそ、
時代時代で変化して、その時代の表現を担っていく。
つまり、言葉は時代の中で息吹き、
言葉に依って時代が作られ、
だからこそ、言葉を通して、
時代や世相が見えてくるのです。
私はありとあらゆる言葉、
美しい言葉も、激しい言葉も、
下卑た下品な言葉も、卑猥な言葉も、
時に攻撃的な言葉も、
すべて人間の為にあり、
生きている人間の生のダイナミズムとしてある、
と思っています。
しかしひとつだけ例外としてあるのが、
ごまかしの為に使われる言葉です。
言い訳も含めて,ごまかしの道具として言葉が使われる時、
言葉は生気をうしない、死んでしまいます。
人類史は言葉と共に始まったともいえます。
なぜなら、言葉によっ私達の意識が立ち上がるからです。
言葉がいかに大切かを、
書いていきます。
つづく。
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