私はかなり怒っています。
まだ怒りがきえません。
以前の私なら、こんなのは放っておけ、と大人的処理でスルーしたのですが、
もうそういうカッコづけはやめました。
私の中にはっきりと死が具体化する中、
自分は残りの人生をどう締め括るかの問いかけが止みませんでした。
そんな中で,私は決めたのです。
こんな世の中をそのまま残しては、死ねない。
反対に、
大人的カッコづけはやめて、
何ごともしっかりと向き合うこと。
自分が納得できない事、
ダメなことはダメだとはっきり表明すること。
不快なこと,理不尽に思うことには、服さない。
むしろ、戦う、と。
また、時に容赦しないと決めました。
それで先般書いた記事
「おかしな日本語がまかりとおっている」に寄せられたFacebookのコメントに対しては、
徹底的に論破しました。
このコメントは、
いくらなんでも酷いと思いました。
なぜひどいかというと、
まず上から目線で、高飛車です。
そして、知ったかぶりというか、わかったつもりで、
記事の内容を把握しないまま、
つまり深く読み取れないまま
短絡的に結論づけているのです。
その行為は余りに世のをナメており
あまりに軽率です。
そういう自分の低度に気付かず高飛車に書くことは、
まず,恥ずかしいです。
これは本当は、恥ずかしいことなのですよ。
しかし、その恥ずかしさに気づいていない、
こういう若者が多いです。
ただね、若者がそうなったのは、
大人に責任がある、私は思います。
つまり、いつの間にか、この国にあった大人の文化が,衰退してしまいました。
大人の文化とは、人間が老成してゆく中で、
醸成される文化です。
生きるとことが
経験によって深く掘り下げられた思慮深い見識や、認識。
生きれば生きるほど、自分の弱さや未熟さをわきまえ、
反対に、この複雑怪奇な世の中で、
時にユーモアで、
時に諧謔を用いて生きる知恵に満ちた、
大人の文化です。
反対に今,世の中を闊歩しているのは、
何かあれば、重箱の角をつつき、
すぐ他人の揚げ足をとっては攻撃し、
自分の薄弱さを平気で晒していることにも、気づかない。
なんとも幼稚な、
大衆ガキ文化です。
人間は老成すればするほど、諦念が湧いてしまいます。
諦念が湧けば湧くほど、
世俗を諦め、
自己の個人的世界にのみ埋没しようとしてしまいます。
私もともすると其方に逃げたくなります。
でも、こんな幼稚でおかしい世の中を放っておいたら、紛れもなく日本は滅んでいきます。
どうぞ我が同志,老いたる同志よ、
大人の、老人の、文化を再び花開かせてください。
落ち着きと、分別のある成熟した文化を、
花開かせてください。
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