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街の片隅でひっそりと書き続けたら、素晴らしい作家になるのになぁ〜。

その人間の表面意識による言動、振る舞いの裏の奥にある、

影帽子のようなもう一人のその人。

実はその影帽子のような人間こそ、その人間の本体であり真実です。

その本体に光を当て、太陽下に浮かび上がらせ、

その真の相を描いていくのが、文学や芸術の本領であると、私は考えている。

そしてその影帽子は、それに光を当て出すと生々しくもイキイキとした、

⭕️生きた本体が登場してくる。

それは,眩しいくらい初々しく

懸命に生きるその人間の相でもある。

ところがねー。

たいがいの作品は、その手前のところの、ちょっとばかり意識を掘り下げた人間の、

あーだ、こーだを書いているものが殆どです。

それに本当のことを書くと、その厳しい内容には、

世の中(大衆)がついてこないし、

売れないし、

大衆には難解で,理解されにくい。

しかしだからこそ、大衆に消費されないで済む。

     ◯

尾崎世界観君が芥川賞の候補になった。

これで2回目で、前回の候補作「母影」は読んだ。

これには上記に書いたような世界観の影の世界が尖った感覚と感性で描かれていた。

話の内容の通俗性よりこの感性が、

その上空でキラキラしており、

芥川賞の審査員達に、この感性世界がわかるかなぁ〜と、

たぶん無理だと、

直観的に私は思った。

こんなこと言ってはいけないことかもしれないが、

賞なんか貰わないほうがいいのになぁ〜。

大衆と思惑を持った連中にどんどん通俗化されていくよ。

この感性を、街の片隅でひっそりと書き続けたら、素晴らしい作家になるのになぁ〜。

と、私は勝手に思っている。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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