先日香本さんの秋の個展の打ち合わせの為に秩父に行った。
その帰り道、今回も私のアシスタントをしてくれているツッチーに、
画家長谷川利行の話をしました。
反対に世の中とは遠く距離をとり、
その魂の世界を描き続けた作家として、利行のことを話したのです。
そしてもう一人自分の魂を描き続けた画家がいますね。
田中一村です。
二人ともが、自分の狂気スレスレのところで決して世の中とは混じり合えない自分、
どうしても世の中とは妥協できない自分を抱えて彷徨いました。
彼らに見えている世界は、
深い闇の自分と、その癒しがたい孤独の暗がりの、
ずっとずっと遠くに微かに差し込む光です。
この光が見えていなかったら、二人ともが狂気の中に呑み込まれて行ったでしょう。
自分に出来うることはたった一つ、描くことであり、
それ以外の世の中のあれこれは、
彼らににとって、自分の周囲で瓦解した瓦礫に過ぎない。
反対に彼らが諦めきれずかかえこんだのは、
極めて純度の高い自分の世界であり、
世の中の諸々の価値や欲望からは
遠く遠くに屹立する、
正直でありのままの自分の現像でありました。
それは、
彼らが最も大事に懐に潜めてきた世界であり、
その孤独の代償として守り抜いた自分の愛と詩の世界であり、
彼らの諧謔とユーモアと音楽すら流れる、その美しい世界が丸ごと、
絵として表出されました。
そういえば、私が出会った高村智恵子の紙絵の世界も、そうでしたねー。
何もかもが瓦解して現れ出てきたのは、
彼女の驚きや愛着がそのまま投影された、
繊細で透き通った彼女の美の世界でした。
人間の表面意識の裏にある、ひっそりとした影に包まれたその人の本当の世界。
決して世の中には消費されない確固とした個の世界。
彼らが生きている時、大事に抱きしめられていたその世界が、
彼らの死と時間を超えて、
私達に贈られている。
それが芸術なんだと,私はアシスタントのツッチーに、話したのです。
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