今回は科学の視点から見てみます。
初めて素粒子学にたどり着いた時は、私は本当に嬉しかった。
私にはそれまで疑問に思っていた、
神秘や不可思議な世界を解く、
魔法の杖のように思えたからである。
つまりこの世とはまさに
生きとし生けるものから無機質の岩石や砂粒まで、
すべてが原子として、
不連続に連続しているのだということで、
説明がつく。
そして、
更に量子力学へと進み、その先にA Iの姿が現実化した時は、
遅くないうちにA Iは芸術分野も制覇していくと考えていた私自身の予測が当たったことで、
変な納得があったのですが…苦笑。
しかし、納得してしまう訳にはいきません。
だからと言って否定するのではなくむしろ
科学と共に,時代をどう作るかを考える時が来たのだと思います。
今回それを考えながら佐藤文隆著の
「量子力学から描く希望の世界」を読みました。
最初にアインシュタインとボーアの論争からはじまり、量子力学の世界を追想して、希望とは何かを模索していきます。
結果的には日本の湯川博士の中性子の発見により量子力学はいよいよ確信的なものになりました。
そして量子力学のもとに、
社会は高度の科学テクノロジーへと成長し、もはやA Iが活躍する時代にまでなりました、と、したいのですが、
そうは、いきません。
その科学が進むなか果たしてそこに人間が、
きちんと介在出来ているのであろうか?
という疑問が湧いてきます。
◯
1956年,当時の原子力委員長の正力松太郎に要請され、湯川博士は原子力委員になりました。
ところが、正力は日本独自の原子力開発をしないで、アメリカからの輸入で原子力発電所の建設をしようとし、湯川博士と対立しました。
その結果、湯川博士は辞任となり、日本の原発は日本の物理学者不在のまま
アメリカから輸入したものが据えられてしまいました。
それには日本の地形を熟知した日本人が口を挟むことが許されず、
また、2号機3号機も、日立製作所や東芝が建設しましたが,
設計はアメリカのジェネラル・エレクトリック(GE)社がやり、設計の変更は認められませんでした。
もし湯川博士のもと、
日本の若き優れた物理学者たちを結集させ設計,デザインに関わらせていたら、
まさか、津波被害になりうる、
地下に非常用電源を設置するなどありえなかっただろうと言われています。
つまり、311の原発事故もまさに正力松太郎が徹底的に湯川博士を排除したことによる,人災でもある、ということです。
あまりにも科学を軽率に、そして政治的に扱った結果、
とんでもない原発事故が,起きてしまいました。
◯
私が子供の頃,日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士はキラキラと輝いていた。
そして以下の文は、
その博士が1947年,つまり私が生まれた年に書いた論文の序です。
「量子力学は今日、物理学のみならず化学に於いても、最も基礎的中地位を占める理論体系である。
更にそれは工学の諸分科や、生物学、生理学,心理学乃至は哲学にまでも重要な影響を及ばしつつある。」
つまり量子力学はこれからその分野が解析されるにつれ、
この世の
ありとあらゆる現象に対しての説明がつける学問である、としています。
それは人間の心理や哲学すらにおいても、そうである、としています。
平たくいうと、
このミクロの世界の原子は身体の原料であり、
脳の働きの原材料であり、
人間のもつ認識世界も、
その脳の働きであり、
外的世界を鏡のよう投影してできる脳の世界であり、
すべては科学によって解明、コントロールできる可能性を持つ学問であると、しています。
そして現代はまさに、このミクロの半導体の作り出すコンピュータA Iによって、
社会が規定され、政治も経済も
はては私達の脳がつくりだす意識と文化すら、
量子力学の影響下に置かれていくでしょう。
しかし、その時そこには果たして人間はいるのだろか。
そこで気になるのは、亡くなられた立花隆さんが
日本は受験戦争のもと、
中学、高校時代から文系と理系に振り分けられ、
文系に至っては,その科学知識は中学生レベルで止まっている、と嘆いておられたことである。
私達は、本当に科学を理解しているのだろうか?
むしろ、理解していないまま、
高度科学技術のベルトコンベアに乗せられ、
ハメルンの笛吹きに連れて行かれたネズミのように、
いつの間にか、その人間たる人間性を喪失してしまうのではないか。
何かおかしいと私は思います。
私達は、ウカウカしているわけにはいかない、と思います。
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