原発事故の最も根底にあった正力松太郎と湯川秀樹博士との軋轢は、
そのまま、人間の不確かさと社会の危うさを考えずにはいられない。
果たしそれは人間にとって善きことなのか、
それとも最終的には、
恐ろしい結果をもたらすのか。
人間は逐次それを判断できるのか?
いくら科学技術により社会が進化?していっても、
人間の欲望や考察やその視野の限界を考えると、
危なくてしょうがない。
それとまた経済についてもこのシリーズのその1で書いたように、
金融という、いつ爆発が起きるかもしれない賭けごと経済から
実際にしっかりとした実体を以て成功していく、
実体経済への転換が必要です。
それは架空の夢幻でもなんでもなく
田下憲雄氏は実際に彼が経営する会社では、
それを成し遂げ,成功させたと言っています。
田下憲雄の言葉に、
「変えてはいけないものを知っているから、変えられる」
というのがあります。
では、
変えてはいけないものとは何でしょうか。
残念ながら日本と日本の世論は、
経済優先,金融至上主義のもとに、
変えてはいけないことを、
たくさんねじ曲げて変えてしまいました。
政治も同じく、政治とは裏と表をつかいわける,
ということがさも正道であるかのように,
そして世論もそれを黙認してきた結果、
政治はもう、カネ儲け,金次第、金と利権の巣になってしまいました。
教育も人材育成も、
人間は中身の知性と教養の豊かさや、
生きる実践が.
その人間の才能や能力の源になるのであり、
“歴”なんかじゃないよ。
あー,今の世の中で、真っ当な筋道はどこにいったのだろう。
わけがわかりません。
私がこれから読もうとしている佐藤文隆著「科学と幸福」という岩波文庫の本の冒頭「はしがき」の最後には、
「人間中心の見方にもとづいた、未来の科学の新しいありかたを探究する。」
と書いてあります。
是非科学者は,科学だけを追うのではなく、
常に人間と社会をその視野に据えて欲しいです。
科学も,科学者も、この言葉を忘れないでほしいです。
本当に、人間の為に、人間をしわあせにする社会を、
取り戻さねばね。
気が遠くなりそうだけど、まずは
取り掛からねば。
ね。

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