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人はなぜ生きるのか9、最も低い位置まで,自分を落下させて、人間と,時代を読んでいく。

なぜ坂口安吾を読むのか、というと、

安吾の目線まで,自分を下降させ,或いは、落下させ、

その何も無い、或いはゼロの地点から、

最も冷徹な,冷酷な、冷厳な、厳しい目で、

人間が纏っている擬装と偽善の幻想を剥いで、

人間に向き合いたいからである。

そのミクロの目から、また

マクロの目から、ごまかさないで、

人間、時代、経済,文化を検証しないと、

日本の真実も、世界の実体も、

見えてこないです。

もうこれまでのような、

⭕️安易なヒューマニズムや未来志向も、

⭕️安直な時代分析も、

何も役に立に立たない時代に入ってしまいました。

私の目には、手がつけられないほど文明が病み,

経済も手遅れ感が、どうしようもない。

なのに、日本社会も,日本人(人々)も、いまだに…、

あ〜なんと言っていいのか、

茹でガエル症候群の中にいる。

平和ボケの中にいる?

これから日本の実体が世界にバレていく時代が始まり、

アメリカの力のなさ(それはもうバレているが)も、

益々露呈していくでしょう、

ヨーロッパ諸国もまた、同じことです。

先進国はもう衰退して行くのかなあ〜。

しかし果たして後進国は,賢いだろか、どうなのだろねー。

できれば,30代後半,40代、50代前半の若い人に、

安吾のこの視点を持ってもらいたい。

※50代後半になるともう頑迷、或るいは、老害になるからね…苦笑!

そこから、人間が,日本社会が生き延びる為の、

なにかのヒントや手がかりが見つけられると

いいねー。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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